習い事パズル

土曜は家族でお出かけになったので、毎週土曜の長男の午前テニスを別日に振り替えなきゃいけない。電話したら振り替え先は水曜日しか空いてないですね、とのことで、その日はプールだからプールに電話してプールを木曜日にしてもらって、ほいで、テニスまた電話して振り替えって無事落ち着く。

そんな数字ならべの四角いパズルあったな、一個ずつスライドさせていくやつ。いつかこれ、長男自分でしてくれるようになるんかな。

報告したら、ナポリタン食べながら、長女がみてるリロアンドスティッチ横目で観ながら、「なんかたいへんやねー」って実に軽い。気楽やなぁ、おまえ。父ちゃんはおまえが楽しむ顔見るために必死や。

 

できるようになったこと

長女は風呂上がりに鏡をみながら、自分の髪を三つ編みをして、ふつうに形になっていた。ぼくはできないので、父を超えたことが一つできた。ほめたらうれしそうで、「パパの髪もしてあげる」といって、五厘刈りの頭をサスサスしながら、「あれ、できないな〜エヘヘ」とわらう。
次女は風呂上がり、鼻が垂れている。妻にいわれたのか、ぼくがいる食卓にきて「ティッシュ、ちょうだいな。その青い箱の」という。一枚とって渡す。そのまま取ってどっか歩いて行こうとするので、「なんていうの?」といってみたら「ありがと〜」と顔をむけてちゃんといえた。びっくりやな、もうちゃんと会話になってるじゃないか。

どこでおぼえたんだ

夕食時、みんなよく食べるようになって、手羽元と手羽中の煮付けが足りなくなった。ぼくが買った量の見積もりがあまく、妻からいつもの三分の一じゃないかと。意外に1パックが高くてひよりましたぜ、すんまそん。
このままじゃおさまらないかんじなので、朝食用のソーセージを急遽焼いてあげる。
子どもたちのソーセージ人気って、なんでこんな鉄板なんだろ。まあ僕も好きだけどさ。
2パック分出したらみんなこぞって箸を出す。

一番お皿から遠かった長女が「ぶらぶらソーセージ、食べたい。とって!」という。妻とぼくが思わず吹き出すと、それがうれしかったのか、「ぶらぶらソーセージ」を繰り返す。取ってもらう前にまず「ぶらぶら」をとりなさいよ。

幹線ロードサイド

家がある山から降りていくと、交通量の多い幹線道路にぶつかる。マクドナルドにビッグボーイ丸亀製麺サイゼリアニトリユニクロ、そしてイオンといった全国区だったり、地元の薬局やレストランのチェーン店が並ぶ。テレビのなかと一緒。どこにでもあるごくふつうの風景。

幹線道路の看板って、おっきい。走っている車から見られることを前提としてるから。車ができて、都市は道路だけでなく、街なみもこのスピードを意識してつくられるようになってるわけですな。ぼくの場合、車もあるけど自転車や徒歩でその道沿いをあるくこともあるのだけど、そのときはなかなかこの看板が視界からなくならない。ずーっと「こんにちは、みんなだいすき、マクドナルドですよ〜。お腹空いてませんか〜」といわれているかんじ。それがちょっといやで、一本脇の川沿いの細い遊歩道を行くようにしてる。川に真っ白なサギがいたり、カモが家族で泳いでいたり。落ち葉が雨にぬれて、滑りそうになったり。遠くの山並みが、きれいだったり。足元に咲いている花に気づいたり。これもどこにでもある風景かもしれない。でも、落ち着くのはなんでだろう。たぶん、人間の目の認識は、自分の身体が出すスピードに合わせてチューニングされていて、それより速いと気づかないようにできている。川沿いのほうは、自分のスピードで、自分から気づく、急き立てられたり、掻き立てられたりはしていない。ほんとは必要ないのに、欲しいかもという気になり、惑わされることもない。不自然に大きなバイアスのかかった刺激がないから、かな。

先日、夜に終バスに飛び乗ろうと全力疾走で走っていたら、暗闇に潜む車止めに足をひっかけて、何十年かぶりに、前のめりにズサーっと思いっきり転んだ。刑事ドラマで鉄砲玉をよける刑事ばりに。辛うじて手はついたけど、お気に入りのジャンパーは破けて、ヒザ、ヒジ、指という先端すべてが内出血するわ、打撲になるわ、出血するわでもう大変。バスの中で1人指を伝う血をぬぐいながら、車止めと自分の迂闊さをうらんだ。数日はヒザを引きずって歩いてて、保育園の先生からも心配された。これからどうなっちゃうかな、折れたかな。けど、数日でケロッと回復。バスケが普通にできるようになった。そうか、身体も自分の走ったスピードくらいの衝撃だったら、大丈夫なようにできてるのか。心強い。たぶん、足遅いだけだけど。

お風呂で次女が、ヒジの傷に気づいて、「パパ、ここイタイイタイなの?」ときいてくる。心配できるようになったのか、うれしいな。そうだよ、というと、「へ〜」といって、思いっきり指で傷口を触ってくる。「イタイ!」っていうと、びっくりした顔をしている。まったくその顔には悪気がない。だからこっちも怒りは出ない。それにしても、それはまったく予想してなかったわ。そんな発想、おれはもってない。面白いから、今度ヒトにそれ、やろ。

 

その幹線道路沿いにあって、よく行っていた大きな天然温泉のスパがつぶれた。解体工事をしてて、そのあとに、ピカピカの改装工事をしていて、何ができるのかなとワクワクしてたら、日産の車のショールームらしい。長男が気づいて、あれ、なに?と聞くのでそう説明したら、「なにそれ、つっまんね〜の」とつぶやく。そのとおりだな、と思う。車のショールームなんて、数十年に1回利用するかしないか、だもんなぁ。

ドーンと鎮座するそのショールームは照明は煌煌と夜まで光って存在感を放ち、そしてやっぱり看板はでかい。

 

もうこんな時間か。娘を迎えにいかなくちゃ。トイザらスで買ったプレゼント、トランクに隠してあるけど、気づきませんように。特にあの目ざとい長女。

日曜朝のルーティン

テレビを見に、山を降りる毎週日曜日。

心ある友人から息子に授けられたドラゴンボールの愛蔵版全34巻。ここ1ヶ月、この坊主の頭はそれだけになり、いま7周目の第2巻だそう。

寝ても覚めてもとにかく読みたくてしょうがなくて、親に宿題やったと嘘をついて、ノートは真っ白、しびれをきらした学校の先生から保護者への電話で発覚。それはそれは修羅場になったりいろいろあったけど、まぁたしかに読みだしたら、親も止まらない。

いったい何周するんだろ。最後まで読破した頃には、1巻の内容、もう忘れてるのかな。

お勉強そっちのけの代償はでかく、九九が覚えられず、完全に落ちこぼれらしい。先生から「全部合格しないと冬休みないよ!」とおどされても、チャラヘッチャラで、今日もオッスおら悟空に没入しておる。でも掛け算わからないと、界王拳◯倍のすごさって、わからないはずなんだけどな。

やがて、学校で新しいアニメシリーズをしているらしいと聞きつけてくる。

我が家は5年前にテレビをなくしたので、視れない。でもこればっかりは諦めがつかないようだ。親を恨みかねん。どうしましょ、となって、これまた心あるパパママ友から「我が家に見に来たら?」のご提案。

そのおうちまでは片道徒歩30分で、我が家がある山を降りる必要がある。ただし、「送り迎えはなしね、みたければ自分の足で来ること」がパパママ友から出された条件。

いい企画だな。その距離を1人で行き来したことはない。どうするか聞くと、迷わず「行く!」となって、初回は一緒にいってみる。道中もうテンション上がりまくって、そんなにあわてなくても間に合うのに、走る走る。次回はちゃんと1人で行って帰ってこれた。

にしても、今のテレビのドラゴンボールベジータがスーツきてたり、スーパーサイヤ人がインフレしてたり、もうその世界観からしてう~ん、なかんじ。贈ってくれた友人には「名作は原典にまず触れろ」の意図もあったそうな。そのとおりだな、ありがたい。

テレビを見るために誰かのうちにいくって、父ちゃんもしたことない。帰ってきた坊主にきくと、番組が視れたことだけでなく、リアルタイムに友達とワイワイ一緒に見れたのが楽しかったよう。

今はポチッとでなんとでもなる世の中、小さい頃くらいアナログで、フィジカルな体験を重ねてほしいな。

父ちゃんもイヤガラセでテレビをなくしたわけじゃない。

パスポートと似顔絵

期限がきれたので、パスポートを申請にいった。前の写真は10年前のもの。無表情な白黒写真。まだ20代の前半で、結婚もしてなく、父になる前の顔。たしか、このときは無職だった。悩みや葛藤があったのだろう、それでいていまよりハングリー。その表情から出ている。

夕食の支度をしていると、テーブルの上においてあった長女がその古いパスポートに関心を示した。空いてるところに、シールを貼りたい、といってる。

昔のパパがいる~といって写真をシゲシゲ。「若いね~」といっている。年をとってない小さい子でも、若いとか、わかるんだな。
今の顔と違うかきいたら、「うん、ちがう」といって、人差し指で、「前はこう」とグルっと腕で大きな円を書く。丸い輪郭かな。たしかに、10年前のほうが太っている。ちょっと、絵をかいてみて、というとノートをもってきて、ペンでサラサラと書き始めた。10年前のぼくと、いまのぼくの2つ。どちらもメガネをかけているところは同じ。アゴのラインと髪型、ヒゲの有無が違いらしい。10年前もヒゲは生やしてないけど、白黒写真だからそう見えたみたい。

4歳のもつべき絵画力ってどんな程度かわからないけど、広いおでこ、メガネ、ちゃんと特徴がとらえられている気がして、描かれた本人はすこぶる気に入った。その線には、躊躇がなくて、実に潔よい。どう思われたいとか、上手く描こうとかがない。ただ、描いた。その感じがすきだ。そういえば彼女、保育園の習字で「し」という一字を書いて入賞してたっけ。あの「し」もシンプルだけど力強くてよかったな。半紙の隅をうなぎが寝そべったような。メインの中央は余白。聞けば、反対から書いたらしい。だから、普通は最後の払う部分にグッと点がある。

ぼくの描かれた緊張感のないゆるい表情。こういうふうに見えているんだな。
10年前も、今も写真の顔は無愛想だけど、この似顔絵はどちらも口角が上がって笑っている。彼女なりのアレンジか、口といえばこう描くことしかしらないからか。いずれにせよ自分の顔って嫌いなのだけど、この絵ならな

んかいいなと思える。

どちらのパパが好き?と聞いたら、満点の答えが帰ってきた。永久保存しよ、これ。

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