書き初め

息子の苦手意識のある習字。書き初めの宿題。「流れる星」が課題。妻が「優しくね」といわれたにもかかわらず、ぼく自身も決して上手くないし、小学校かじっただけにもかかわらず、どうしてもアドバイスに力が入ってしまい、厳しい口調になる。うまくいってないところばかりを指摘してしまい、いいところを褒めるのが後手になる。明らかに面白くなさそうだ。たしかに横でじっと監視されて、いちいち言われるのは嫌だろう。一応、書かせてみて「気づくことある?」とまずは彼の意見を聞くようにはした。

手本の見方、姿勢、筆の使い方など。言い始めたらきりがない。妻が「ひとつづつね」というが、そんな悠長にもいかず、はじめの何枚かで要点をまとめて伝えて、デモンストレーションもして、もういうことはやめる。あとは練習あるのみ。自分が興味をもって、改善していけばいい。名前のお手本も書いておいた。

「名前の練習できたら、あとは本番やったらいいよ。五分休憩ね。」

息子は二階へ行き、ぼくは隣の上の寝床で横になる。五分たっても戻ってこない。やっぱり、だいぶ顔が曇って「ああ、めんどくせ」という表情をしていたので、心折れてしまったか。心配になる。

遊んでいるのだろう、二階でスーパーボールが跳ねる音がする。「戻ってこい」とは言わない。

やがて足音が近づいてきて、「やべ、五分過ぎてた。」

ホッとして、「んじゃ、がんばって」あえてそのまま寝床でゴロゴロして、もう見ないようにする。

下の和室は静かである。

しばらくして、「うまくかけた、みて」といってきた。何も言わないほうが筆が進むのだ。

寝床から身を乗り出して下を見る。メガネをかけ直してないから、正直はっきりみえないが、まぁさっきよりは丁寧に書いているようで、良さそうだ。

「よくなってるよ」

あとは褒めるだけにする。

アウトレットに出かける時間だから妻からも早く終われと催促されていることもあり、本番用の五枚を立て続けに書くようにする。妻も横につく。提出するのはそのうち一枚。

そんなにいきなりうまくできるわけもなく、いいところわるいところそれぞれあり、提出用の一枚を選ぶのに迷っていた。

とはいえ、最初に書いた一枚と比べたら随分手本に近くなっている。

でも、最初の一枚も落ち着いて見てみると、やたら一文字が大きかったり、勢いがあったり、けっこういい味を出している気がする。当たり前だけど、実に息子らしいフォント。むしろそのあとは手本を意識しすぎてこじんまりとした感もある。筆の流れ方をちゃんと教えておくべきだったと気づく。筆があちこちで止まっているから、流動感も弱くなっている。なんであんなにカリカリしてしまったんだろう。はんせい。

とはいえ混乱させたくもないので、そのことは触れず、アウトレットの車の中で「字を手本のようにうまく書くことも大事だけど、うまく書けるときは心が落ち着いて、澄んで集中してる状態になるもんだ。その精神状態をつくれるのはいろんなところで大事になるよ。スポーツとか、勉強、遊びでも。父ちゃん習字やっててよかったのは、そこかな。」と話をする。

聞いていたかどうかわからない返事が助手席の息子から返ってくる。口にした感想は「つかれた」であった。最近はまっている『釣り吉三平』を読んでいたかとおもうと、やがて閉じて寝た。あまりいい指導はできなかったと反省する。ぼくに多少の思い入れがあり、「これはやらせなきゃ」と熱がこもるものは、ダメなのだ。テニスもサッカーもぼくがやったことなくて熱くないのがいいのだろう。

ちょうど父親が囲碁の9段で、その娘が息子と同じ10歳で、史上最年少でプロデビューするとニュースでやっていた。あれはどういうことなのだろう、実に不思議だ。まぁ一流の世界は全く別世界だろうし、よっぽと褒め上手なのだろう。

たいしてできもしないのに、ただやんやいうのはやっぱりよくない。やっててよかったとおもうことをつたえて、あとは本人が興味をもったときに相談されたら助けるのを目指すべき関係なんだろう。