その方が夕日は美しい

こないだの、帰宅時に見た夕日はほんとうに赤くて。これまでの人生で見たなかで一番心に打たれた夕日だった。これがマジックアワーというのかな。

家路は太陽が沈む海とは逆向きの坂の上にある。

自転車を漕いでいるときは夕日は見えない。惜しい。それでも前方、坂の上の空がみるみるオレンジ色に染まっていく。いつもはそんな夕日が沈む反対側が染まることはない。今晩はよっぽどなのだろう。オレンジゾーンが明らかに広い。時々交差点で立ち止まっては見返す。時々刻々、オレンジが深みを増していく。

この日までは夕日といえば雲がない空に、真っ赤っ赤で真ん丸なものが悠然と海に沈んでいくのが一番きれいなのだと思い込んでいた。例えばハワイ。堂々たる美しさがある。

 

考え方が変わった。その日は空に綿菓子を薄くちぎったように雲が散らばっていた。

薄い雲が太陽を覆っていて、太陽自体は見えない。雲がベールになって、そのむこうにある。そのベールが一役買っていた。太陽の光をより拡散させるから、赤色から橙色までのグラデーションがいつになく広い。民家、車、樹々といった視界に入るものはオレンジの水彩絵の具を上から塗られたかのようにすべて暖かい色を帯びている。たぶんぼくも赤い。

 

隠す雲が夕日を引き立てる。映画しかり、プロレスしかり、そういえば物語にはヒールがいるから面白い。夕日だって同じなのか。その姿を隠す雲があるほうが盛り上がり、美しさが際立つというわけか。

 

世の中そういうものなのかもしれない。消そうとすればするほど、その存在がむしろ目立ったりするし、対立そのものが興味を引いて耳目を集める。どちら側に立つかというのはさして問題ではない。一番盛り上がるのは決着する寸前。決着したら拍手があって、その後は冷めはじめる。

好敵手って、いい言葉だな。相手がいたから、自分も高まった、みたいな。大空翼日向小次郎。どちらか一方だけがそのまま残るとことはない。残ったほうも、何かしら影響を受ける。そう考えたら、対立があったとき、「どちらが良いか」より、その対立は「それは良い対立なのか」の視点の方が大事なのかもしれない。

 

ただただ見惚れたあと、惜しまれながら夕日はあっという間に沈む。しばらく余韻がつづいて空はまだ赤いままだが、なおも漂う雲はどこか寂しそうに見えた。

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