初登山

近くの山に登山の予行演習。標高は1,000mに満たないけど、山頂まで片道約3時間半かかる。長男と長女にとっては経験したことのない長丁場な運動。8時前に登り始める。天気は曇り。ぼくの叔父さんがアドバイザーとして先導。ぼくはシンガリ。

いかにも子どもらしく、最初は足も軽く、元気にハイベースで登っていく。「ヤッホー」と大きな声も出る。叔父さんが「ゆっくりいけ」とアドバイスするも聞く耳を持たない。

1時間ほどして、案の定ヘバってくる。休憩したいのだろう、「喉乾いた」を口実にペットボトルのお茶を頻繁に欲するようになる。ペットボトルは一人2本。途中で尽きてしまわないように、飲み過ぎないようにガマンがいる。

飴を与えれば少し元気になる、と事前にアドバイスをもらっていたので、あげると確かに少し背中を押さえるように歩き出す。けど、また「喉乾いた」になる。

「まだつかないの?」

「まだまだだよ」

「え〜」

だんだん口数も減り、疲労もたまり、「なんで、つらいのに登ってるんだっけ」と疑問が湧いてきている模様。

長女が先に「もうおうち、帰りたい」といよいよ言い出す。

 

低い山なので、アブやハチが次々と嫌な羽音をたてながら身体の周りを旋回しはじめる。細い参道に、雑草が伸びてきて、手で掻き分ける必要がある。お気に入りの履きなれた靴が土で汚れる。

疲労からその一つ一つが気になりだして、ストレスになり、ガマンも限界なのだろう、いよいよ長女は泣く。頂上までまだあと1時間以上かかる。

 

ぼくも実は登山は初めて。ぼくの家は親がどこかに連れてってくれるということはなかったから、こういうアウトドア系、実に疎い。その分、子どもと一緒に行くのは憧れがあった。でも、泣いてつらそうな長女に、「もっと頑張れ」といえる根拠がぼくの中にない。たぶん、頂上に行けば達成感があって気持ちいいのだろう、でも、今ここでやめて帰っても別にいい気もする。

 

それにしても、なんで登っているのか、ぼくもだんだん分からなってくる。天気が良くないので、景色がすごくよいわけでもない。そもそも、鬱蒼とした山道を延々といくだけで、景色が広がるのはほんの数カ所しかない。あとは足に気をつけながら、頭上の張り出した枝や草に気をつけながら、登るばかり。せっかくの休みなんだから、涼しい家でスイカを食べながら甲子園でも見ていたほうがよかった、気になってくる。

 

とはいえ、まぁ、つらいからすぐにやめるというのも教育的にもあまりよろしくなかろうという気もするので、もうちょい頑張らせてみるか。ということで、できるだけ励まして背中を押すことに徹することにする。

 

飴をエサにするのも限界がある。あとは「がんばってるね」と励ましたり、「パパがバリアになってアブから守ってあげるからダイジョブ」と声をかけたりしてモチベーションをいかに回復できるかが勝負。普段は求められない高度なコミュニケーションが求められる。

叔父が休憩時に「ハチは『9』っていったら逃げてくよ。ハチ(8)より大きいからね」と言った言葉を信じて健気に「キュウ、キュウ」と連呼しながら長女は一歩ずつ歩みを進める。泣くのはやんだ。

あと3分の1まで来た時に、2回目の休憩。長男も長女もへたり込む。「もうここまででいいわ」と弱音。「お腹すいた。なんか食べたい」

 

適当な言葉が見つからないので、大きな声で「さあいくぞ」という。我ながら実に能のない言葉だ。そんな言葉で鼓舞されるくらいならこうはなっていない。

「頂上についたら、草原が広がっていて気持ちいいよ」と叔父。

「あとちょっとだから」

この叔父の「あとちょっと」が意外に効いたようで、腰をあげる。

 

もしもほんとに一歩もこの子たちが歩かなくなったらどうなるのかな。ぼくもさすがにおんぶや抱っこはできない。この退路を断たれたかんじが登山ならではなのか。

 

あと50分くらい、というところでちょこちょこ「山頂までもう少し」という看板が出始める。もうすぐなようで、まだまだな気もする。長男は「『もう少し』って、さっきからいうけど、まだまだやん」と気付き始める。精神的に一番つらい時期。

 

あと20分、長女も力を振り絞って登りつづけるが、あと20分くらいになって、いよいよ声を出して泣いて涙が止まらなくなる。かわいそうだけど、「大丈夫」とか「もう少し」とか、ごまかしごまかし、妻が手をつなぎながら連れていく。

 

あそこまで登れば、山頂かな、と思わせるところがある。だけど、そこまでいってもまだ先があることがわかる。長男も「まだつかん」と時々座り込む。

 

あと10分くらいのところで、蝶が長女にとまる。これ幸いと妻が「がんばって〜、って言いにきてくれたんだね」と励ますと、これが嬉しかったようだ。効いた。

泣きやみ、足が前に進むようになる。靴は泥だらけ。標高が高くなってきたから、羽虫も少なくなって来た気がする。ほんとうに、もう少し。

 

ほうほうの体で、ようやく登頂。素直なもんで、登頂したら急に子どもたちも元気になる。叔父が手際よくお湯を沸かしてくれて、お味噌汁を作ってくれる。インスタントだけど、これが相当長男にも長女にも美味しかったそうだ。うまいうまいと大喜び。みるみる元気を取り戻す。

 

30分ほど山頂で休憩。汗が染み込んだ半袖シャツが風にさらされ寒くなってくる。ガスが立ち込めて、あいにく景色はまったく見えない。でもまぁ、ずいぶん高いところまで自分の足できたもんだ。たしかに、達成感がある。

 

下山。子どもたち二人も随分足が軽くなっている。先をいく長男は駆け下りているご様子。ときどき笹の葉をちぎり、笹の船を作り出して「止まらず進め」と叔父から注意を受けるも、懲りずに作り続けている。長女も弱音はもうはかない。途中、マムシを見つける。行きはあんなに辛いといっていた長男と長女。体力的にはまだ大丈夫だったのだな。

下りはこんなに精神的にも楽なものなのか。一歩一歩家に近づいているという安心感がある。登りのときは精神的にもつらくて、仕事のストレスとかいやなことが頭の中をめぐった。下りのときは、これからの人生とか楽しいことが自然と頭に浮かぶ。身体の頭の中って連動しているのだな。風景や足元の草の多様さを楽しむ余裕も生まれている。

 

叔父、長男、妻は先に行き、ぼくと長女だけが最後尾で歩く。途中でミッキーの話になり、「パパ、ミッキーやって」というので、できるだけ声を真似て長女とミッキーが会話する。

「ミッキーはどこから話をしているの」

「空の上からだよ」

「空の上の声が、どうして聞こえるの?」

「魔法を使っているんだよ」

ミッキーマウスクラブハウスって、いってみたいのだけど、どこにあるの?」

「魔法の世界だよ」

「魔法の世界はどこにあるの?」

「心の中だよ」

「空の上なのに、心の中なの?」

 

適当な相槌をしているとどんどん追い詰められていく。「ミニーによろしくいっておいて」と言われる。「ミニーと話ししたい」でなくてよかった。パパがミニーの声真似ができないのは、知っているからなのか。

 

ミッキーの声で「がんばってね」というのが、うれしいようだ。電話を切るように「バイバイ」といって、ぼくの地声に戻ると、「ミッキーが『がんばって』って言ってくれたよ」と報告してくる。

 

またしばらく父と長女の会話にもどっても、まだミッキーの話。

「ミッキーって、手袋とったらどんな手しているのかな」とか。

「パパ、見たことがないよ」

「じゃ、ミッキー呼んでみる?『ミッキー』」

「はーい」

手な具合で、またミッキーが召喚される。

 

何度もこのミッキーとのホットラインを使うおかげで、前に進んでくれる。下り道は滑るし何度も転ぶ。膝が痛いらしく、何度も止まって屈伸する。でも弱音をもう言わなくなっている。登る前に比べて、背中が頼もしく見え、明らかに成長している。

 

「帰ったら、温泉行くんでしょ、そしてパフェも食べていいんでしょ」

「うん、今日はがんばったら、なんでも食べていいよ」

 

がんばる長女の背中をみながら、こんなに長時間励ましつづけたことはこれまでなかった。これが登山の醍醐味なのかもしれない。普段の便利な環境から離れて、一緒に黙々と歩く。あらゆる手段で励ます。いつもはやらない密度の親子のコミュニケーションが、そこにはある。健気にがんばる長女の姿をみることができて、いっぱいおしゃべりができて、頼りにされる。実にいいもんだ。

 

下山。朝からおよそ7時間の行程。汗びっしょり。ソフトクリームを買ってやる。

 

帰りの車ですぐに長女は寝てしまい、近くの温泉だとまだ寝足りないだろうから、遠くの温泉にする。汗を流して、ファミレスで夕食。

ファミレスでもあの味噌汁ないか、と探す。「あの味噌汁はがんばってがんばって飲んだから美味しかったの」と説明しても、「いやあの味噌汁はすごかった」と長男はその感動を生き生きと語っている。温かいご飯が出され、スイッチ一つで飲みたいジュースが沢山でてくる。普段の日常が、ものすごい贅沢に感じる。とはいえ、何不自由なく出されるファミレスも美味しいが、たったいっぱいのインスタントの味噌汁には勝らない。これも登山の魅力なのかもしれない。

 

義母と義父に朝早くから約12時間、いつになく長く預かってもらっていた次女を回収。楽しかったと元気なご様子だけど、妻が寝かしつけるとき、寂しかったと泣いていたらしい。

4日後、1泊2日でまた本番の登山がある。大丈夫かな。長女は下山後は「もう行かない」といっていたけど、今朝聞いたら「行く」になっていた。また叔父の味噌汁を飲むことがモチベーション。

なんで山に登るのか。そこに子どもの背中があるから。

いい天気になりますように。