中庭の樹


おうちを建てるとき、中庭の樹を何にしようか随分迷った。好きな小説『銀の匙』に、庭木の珊瑚樹の実を食べに鳥が集まり、それを眺めるくだりがある。それに憧れて、珊瑚樹を物色するものの、常緑樹らしく葉っぱが厚く、あまり好きになれない。樹形がきれいな王道のケヤキでいくか。でも30メートルくらいになったらどうするの?といわれ断念。サクラは毛虫がくるから妻がいやがる。などあれこれ。きりがない。けど、このどうしましょ、の悩みは楽しい時間。やっぱり実がなったり、花が咲いたり、紅葉したり、季節感があるほうがいいな。

友人であるその道のプロにも相談。植木屋さんを紹介してもらって、たくさんの売り物の樹が生えている庭をめぐる。最近は細い幹で、何本も分かれている株立ちとかいう、中くらいの高さの木が人気らしい。

結局選んだのは、樹形と色を一目で気に入ったヤマモミジ。夏の前でも、紫色の葉っぱをしている。常緑樹ならぬ常紫樹か。白い壁があるから、映えそうだと直感。
植木の日。ずいぶん土がわるいと職人さんが嘆く。株の周りは客土を入れるので当分は大丈夫だけど、根が張っていったらその先の土から水なり養分を吸うことになるから、どうなるかわからないとのこと。たくましく、育ってくれ。

植えて数ヶ月の間に、不思議なことに紫色だった葉っぱが、日を追うごとにどんどん色が薄くなり、紫というより赤色なってきた。季節的に紅葉には早いし、その地の気候とか土とかで、変わるものなのかしら。

植えてから5ヶ月ほど過ぎ、いよいよ紅葉の時期になる。葉っぱの紅さがどんどん濃くなる。燃えているという表現がしっくり。しかも葉っぱだけでなく、葉をつけている根本の枝葉まで紅くなっている。まるで血液が巡っていて、それが透けているかのよう。

秋晴れの日に中庭に寝っ転がって、葉っぱを下から見上げてみる。青空の背景に、太陽に照らされて透き通った紅色がたくさん浮いている。何重にも重なって、いろんな濃さが散らばっていて、風でゆらゆらそよいで、金魚の群れをみているかのようう。美しいな。この瞬間が見れただけでも、この樹を選んでよかったなと思える。
子どもたち3人に「おいでおいで」と一緒に樹の下にもぐらせて、寝そべってみる。「キレイだね」と口にするけど、長男はアッサリ他のことをしはじめる。次女はさすがにまだよくわからない。一番関心を示したのは長女でしばらく見とれている。

美しさは儚いのか、儚いから美しいと思うのか。そんな紅葉の盛りも1週間ほどで終わる。
順々に中庭に注ぐ太陽の光量が少ない部分から、葉っぱは手のひらが握りこぶしをつくるように丸まりはじめ、やがて落ちていく。

落ちた葉は、中庭に敷いた丸石の、石と石のくぼみに入っていく。
どんどん埋め尽くされてそれはそれで風情がある。
一日一日、朝に長女と一緒に今日はモミジ何枚葉っぱが残ってるかな、と数えた。最後の1枚まで。
その儚さを、長女は感じくれたかどうか。

散る直前が一番美しい生き様って、素敵だなと思う。衆目を集め、ピークに惜しまれながら去っていく。いかにも幸せそうだ。
しかも植物の場合、ほんとの終わりではなく、それを1年サイクルで繰り返して、また生えてくる。
毎年盛りの時期をつくり、幕を下ろし、しばらく営業をやめて、焦らして、そろそろと求められた頃にまた再開する。
なんて商売上手なんだろ。人間でそれをやろうと思うと、どういうことなのだろう。思いつかない。うらやましいねぇ。

積もった雪に耐えるように枝だけになった中庭を見ると、春が恋しくなる。
早く新しい葉っぱ、出てこないかな。
モミジ、いいね。鳥はまだこないけど。

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