子どもがなかなか宿題をやらない訳

昨夜は子どもたちの家族とバンガロー宿泊。子どもたちが寝静まったあと、流れ星をみながら、ママ友たちと、なぜ息子たちはギリギリまで宿題をやらないか、という話になった。

子どもが宿題を自主的に早く終わらせるなんていうのはお伽話の話。親は、なかなか宿題をしない子どもにしびれをきらし、ヤキモキする。で、いい加減にしなさいと子どもは強制的に親の監視下に置かれ、親は横に座り、漢字の書き取りに一字一句つきあって、ここはこうだとか、逐一口を出す。子どもにとっては、不本意なこと、のはず、と親は思っている。

ところが、そんな話をしながら、気づいた。子どもは、それが、うれしいんじゃないか。普段、「宿題をしなさい」と漠然と言われてる状況に比べて、マンツーマンで親が自分に構ってくれているとう状況のほうが、親と俄然、近い。だから、普段はやらないし、やるメリットがない。やったところで「よくやったね」といわれておわりなわけで、親とランデヴーできるわけでもなく。

そいえば不良が悪いことをするのは、親の視線をむけるため、とか聞いたことがあるな。遠からず、これも、そういうことなのかもしれない。

ママ友の一人が、今日こそは宿題やらないと、という日に、深夜に、自分も息子がやる漢字の書き取りを、全てやってみた、といった。自分でやってみて、こんなに大変なことを、やらされてたんだな、と気づいたという。しかも、自分はその漢字を知ってるからまだ書けるけど、彼らにしてみたら、初めてづくしの形態模写。なるほど。恥ずかしながら、ぼくはそれ、ぜんぜんわかってないな。ただ書いた字が汚いだの、言ってただけ。現場感ゼロ。それじゃ、やる気は起きんわなぁ。

普段宿題を子どもがしないのは、親が十分な眼差しを向けてないから、なんだな。子は親を映す鏡ってやつか。ドキリ。