絵描き

週末は大きな高気圧につつまれて温かく気持ちのいい秋晴れだった。公園にスケッチブックをもって、メルもつれて妻と娘ふたりと絵を描きにいった。紅葉でいろんな色で溢れている。住民じゃない人も多く訪れ、いつになく人が多い。これなら熊も心配なかろう。息子は勉強につきお留守番。メルは落ち葉の間をかき分けて湿り気のある土にいる虫を漁っている。とおりがかかりの人が驚きとともに可愛がってくれる。沢山写真を撮られていた。

娘はせっせと大きな樹の絵を描くが、次女は「うまくかけない」と筆がなかなか進まず不機嫌になり始める。「うまく書こうとしなくていい。なんでもいい」と伝えても納得いかない様子。描こうとしているところを覗き込むと「みないで」と禁止され「なにもいわないで」と制される。ほっておいたら樹を一本描いていた。そのあとはメルのお世話係にまわる。

「パパ、なんで描かないの?せっかく来たのに」と次女。ぼくも妻が描いた裏に描き始める。

帰宅したあと、次女は近所の女の子とそのママの絵をスケッチブックに描いて渡していた。長女は夕日が沈むところをもう一枚。それぞれのスタイルの絵描きが二人。昨日かったスケッチブックはとても喜んでくれていることがわかり嬉しい。

クロッキー

長女が描いた樹の絵が入選し、表彰状と賞品がとどいた。お絵かきセット。絵の描き方を教えてくれた先生に入選の報告とお礼のお手紙を先日送った。そのお返事と美しい樹の絵も同時に届く。よっぽどうれしかったのだろう、夕食時テンションが高い。横で次女が少し嫉妬している。でも先生は次女にもわざわざ別の封書でお手紙をくれた。優しいご配慮。次女が描いた先生の絵をほめてくれていて、むかしお描きになった絵本も同封されている。そのおかげで次女もご機嫌であった。

長女は「スケッチブックほしい」とお風呂でおねだり。

クロッキーというのがあるから買ってあげるというと「知ってる」と。なのかのドラマかアニメでみたそうだ。裏紙に描く女の子の絵がどんどんうまくなっている。「どこでかうの?いついくの?」と寝る前にもせっついてくる。

役得

「ねえ、これってほんとに食べているの?」

ドラマで俳優が焼肉屋で焼肉を美味しそうに食べるシーンをみて。ほんとうに食べているというとうれしそうな顔になって「いいな、ずるい」。

タツに座椅子をいれたら妻と娘二人でちょうどよく快適そうだ。トランポリン帰りはマクドナルドに寄ることが習慣になってしまっている。マクドナルドとコタツと座椅子とドラマで土曜日の午後は幸せそうである。焼肉を食べに行きたいというかとおもったら、「ラーメン食べたい」という意外なリクエスト。

雷様

「ねえ、雷様って、ほんとにいるの?おへそとられるの?」(次女)

二人で入っているお風呂で。絵本とかで沢山でていると。パパはみたことがないというと、たくさんある絵本も「みたことあるひとが全部かいているの?」。いないなら、なんで考えたのか興味も湧いている様子。

「雷が落ちる時は暑い時か寒い時?」からはじまって、「寒い時におへそを出しているとどうなる?」と誘導して、子どもがお腹がいたくならないように親が考えた言い回しだと説明してみる。

読書めも〜『変われ!東京 自由で、ゆるくて、閉じない都市』

『変われ!東京 自由で、ゆるくて、閉じない都市』(隈研吾・清野由美/集英社新書/2020)を読んだ。

 

軽くて、柔軟で、前向きで、エネルギッシュな語り口。スーッと入ってくるのだけど、半分くらいは共感し、半分くらいはもやもや消化不良でひっかかる。

建築に興味ないが新しいもの好きで箔をつけたい全国の政治家や経営者たちはイチコロなのがよくわかる。思っていたことをいってくれるはずだ。小さな活動に寄り添い、可能性を摘まない。血気盛んな若者もその下に集いたくなるだろう。終身雇用と年功序列さらには住宅ローンによる逃げ道のないサラリーマン的人生が日本の都市や街をつまらなくしている病巣だと槍玉にあげている。サラリーマン的な生き方は楽しくないし最低だよね、というわけでだ。日本でもっとも生産性が低く、閉塞感がある組織にいる身として納得がいくし身につまされる。

アーティスティックでアイコニックな建築家像を否定しつつ、でもご自身も権力とそれに群がるミーハー気質を利用してらっしゃるわけで、これからその存在自体も軽くて無色透明になったらすごいのだけど、そこまではないものねだりなのかもしれない。自由に好きなようにやるために産官学いずれの権力にも信頼を得て入り込める。それだけでもすごい。

建築家の創造性には二通りある。特殊解をつくるタイプと普遍解をつくるタイプ。きれいには分けられない。むしろ最初は特殊解だったもののうち一部が普遍解になるという流れなのかもしれない。大雑把にいえば前者の代表はアーティストで、後者の代表はサラリーマン。後者にどう働きかけるかが創造性の勝負なのだろう。そうでないと、仮想敵にされどもサラリーマンが結局マジョリティでいつづけてしまう、崩壊するその日まで。ここで語られた内容は、どちらに属するのだろう。いずれにせよ、こういう影響力のある方が問題を浮き彫りにしてくれることはいいことだ。

豊島区の再開発は勉強になった。「文化」はもちろん大事なのだけど、その言葉を使うのは最近抵抗が出てきた。何かと便利で都合のいい言葉だし、文化人といわれるひとたちの特殊性が鼻につくようになった。むしろ浪漫という言葉のほうがしっくりきている。文化がある街より、浪漫のある街の方が住む人が楽しそうなかんじがする。

読書めも〜『コルビジェぎらい』

コルビジェぎらい』(吉田研介/自由企画/2020)を読んだ。

 

80歳を超える建築家のコルビジェへの、いやコルビジェを盲目的に称賛する人たちへのいさぎよい批判。本音であっぴろげだから嫌味でなく痛快だ。嫌いだとここまで詳細に調べて追求することもないだろうから、コルビジェへの、そして建築への愛の裏返しと読むべきなのだろう。この20世紀を代表する建築家は世界の都市計画・建築に多大な影響を与えたわけで、それには功罪ある。その罪が列挙されている。カリスマ建築家はアーティスト的建築家で扇状的で我田引水で社会性に欠ける。それに憧れた建築家が世界中に誕生してしまい、ついぞ日本では建築家というのは単なるやっかいな存在に成り下がり、いまや影響力を失ってしまったという嘆き。一方でこの国の発注者は建築家の上手な活かし方をしらない。今後、この断絶による悲劇的な関係は修正されるべきだ。そうでないと街から浪漫がなくなる。建築家は本来的には侵食を忘れて「浪漫」に没頭して献身的に仕事をしてくれる人たちだ。コルビジェ的建築家はもういらないのはぼくもそう思う。そうではない建築家、誠実で真摯に街の未来を考えてくれる存在に、地方こそ頼るべきだと思う。

ちなみに、サヴォア邸はぼくは感動できなかった。サヴォア邸に魅力がないのではないない。むしろこれがモチーフとなって日本でも洗練されたモダニズム建築を先にみすぎたために、原型に対して免疫があったからだとおもう。ドラクエ1をあとからしても感動がないのと同じである。それでもラロッシュ・ジャンヌレ邸には感動した。湯にてダビシオンは仲間で強引にでも入るべきだった。

80歳を超えた方の文は遠慮がなくていいたいことがはっきりしていて読んでて面白い。

ワッチュヤネーム

「おれがハワイいったの、何歳のとき?」(長男)

夕食のとき。サッカーから帰ってきて、お風呂に入ったあとなので一人で食べている。ぼくは横で本を読んでいる。

「4歳か、5歳かな」

長女がまだ赤ちゃんだったからそれくらいになる。今の次女よりも小さいな。

「学童みたいなところにいったやろ。『ワッチュヤネーム?』っていわれてこたえられなかった。」

いまなら答えられるだろう。そのときは横で見送りにとどけた妻が教えたそうだ。ホテルにある子どもあづかりサービス。彼にとっては学童なのだ。

忘れられない光景がある。英語がチンプンカンプンな息子を「学童」に預けたあと、心配だから塀からのぞいた。庭に出て、小太りなお姉さんスタッフの周りに今日預けられる子どもたちが数人集まっていて、息子もそこにいる。そこでそのスタッフから「ワッチュヤネーム?」と繰り返し聞かれていた。顔は見合わせているものの、息子は当然答えない。そのスタッフは息子の腕に名前が書いてあるのに気づき、それを読んでみんなに伝えていた。ぼくはそれをみて一人でがんばってる彼の姿に自然に涙が出てきた。でも親は勝手である。家族水入らずの旅行にいって、なぜ息子を預けたのか覚えていない。ホテルのプールでずっと遊ぶだけの5泊6日だったから、きっと「学童」が楽しそうなプログラムがいっぱいなので放り込ませてみた、というくらいだろう。たしかにスティッチが科学実験をやりにくるなどプログラムは充実していた。

息子は1日目、ずっとトミカで遊んでいたそうだ。ハワイでトミカ。2日目にいった朝、トミカがなくなっていた。パニックになった息子は、「トミカどこ?」と日本語でなんども聞いたけど、スタッフはまったく答えてくれない。それを強烈に記憶していると昨日話してくれた。スティッチの教室は覚えていなかった。

「カーズのマックイーンの服、きてたぞ」

「あ、それはすごくおぼえてる」

あとは、釣りのゲームを延々としていたと回収しにいったとき、スタッフから聞かされた。

彼のはじめての言葉が通じないところに「冒険」は今も記憶に残っているようだ。あとから年齢によってはトラウマになると聞かされて肝を冷やしたが、英語を習い始めて楽しそうに行っているし、そうはなっていないくて安心する。むしろ英語教室があるから、その記憶がふっと出てきたのかもしれない。

息子が「学童」にいかない時間ももちろんあって、プールにグーフィーがやってきてキレキレのダンスをして一緒に楽しそうに踊っていたり、一緒にボートに乗ったり、何度もスライダーをした思い出がぼくにはある。長女にもやさしかったな。夜は外で映画をみにいって、息子は途中で寝てしまった。

次女が「私も行きたい」といいつづけているから、大きくなりすぎないうちにまた行かなくてはいけない。