ワッチュヤネーム

「おれがハワイいったの、何歳のとき?」(長男)

夕食のとき。サッカーから帰ってきて、お風呂に入ったあとなので一人で食べている。ぼくは横で本を読んでいる。

「4歳か、5歳かな」

長女がまだ赤ちゃんだったからそれくらいになる。今の次女よりも小さいな。

「学童みたいなところにいったやろ。『ワッチュヤネーム?』っていわれてこたえられなかった。」

いまなら答えられるだろう。そのときは横で見送りにとどけた妻が教えたそうだ。ホテルにある子どもあづかりサービス。彼にとっては学童なのだ。

忘れられない光景がある。英語がチンプンカンプンな息子を「学童」に預けたあと、心配だから塀からのぞいた。庭に出て、小太りなお姉さんスタッフの周りに今日預けられる子どもたちが数人集まっていて、息子もそこにいる。そこでそのスタッフから「ワッチュヤネーム?」と繰り返し聞かれていた。顔は見合わせているものの、息子は当然答えない。そのスタッフは息子の腕に名前が書いてあるのに気づき、それを読んでみんなに伝えていた。ぼくはそれをみて一人でがんばってる彼の姿に自然に涙が出てきた。でも親は勝手である。家族水入らずの旅行にいって、なぜ息子を預けたのか覚えていない。ホテルのプールでずっと遊ぶだけの5泊6日だったから、きっと「学童」が楽しそうなプログラムがいっぱいなので放り込ませてみた、というくらいだろう。たしかにスティッチが科学実験をやりにくるなどプログラムは充実していた。

息子は1日目、ずっとトミカで遊んでいたそうだ。ハワイでトミカ。2日目にいった朝、トミカがなくなっていた。パニックになった息子は、「トミカどこ?」と日本語でなんども聞いたけど、スタッフはまったく答えてくれない。それを強烈に記憶していると昨日話してくれた。スティッチの教室は覚えていなかった。

「カーズのマックイーンの服、きてたぞ」

「あ、それはすごくおぼえてる」

あとは、釣りのゲームを延々としていたと回収しにいったとき、スタッフから聞かされた。

彼のはじめての言葉が通じないところに「冒険」は今も記憶に残っているようだ。あとから年齢によってはトラウマになると聞かされて肝を冷やしたが、英語を習い始めて楽しそうに行っているし、そうはなっていないくて安心する。むしろ英語教室があるから、その記憶がふっと出てきたのかもしれない。

息子が「学童」にいかない時間ももちろんあって、プールにグーフィーがやってきてキレキレのダンスをして一緒に楽しそうに踊っていたり、一緒にボートに乗ったり、何度もスライダーをした思い出がぼくにはある。長女にもやさしかったな。夜は外で映画をみにいって、息子は途中で寝てしまった。

次女が「私も行きたい」といいつづけているから、大きくなりすぎないうちにまた行かなくてはいけない。