ぬくぬく

我が家は土間に階段がつながってて、2階にあがるとダイニングとキッチンがあって、そこは吹き抜けというコンパクトな構成なのだけど、その分空間がひとつながりなので、冬は土間の冷気がそのまま2階に流れ込んできて寒い。

今年の冬はその思いをしたくない。床暖房のせいで月の電気代が3万円になって気絶しそうになりたくもない。

そこで、まことしやかにいわれていた土間にストーブを置くと全体が温まるという説を信じて、奮発して強めの石油ストーブを勝手置いてみた。

なんということでしょう。これまであんなに寒かった家が暖かくなった。暖かい空気は上にいく、というのはほんとうなんだ。階段の上にぶらさげているオーナメントがクルクルいつも以上に回っている。これまでブーブーいわれていた空間の抜けが対流によって一気にポジティブになった。

今日は強いアラレが降り、雷がピカピカ。さあこい冬。

大事にしてあげたい

長女の掘って出した芋の絵が近くのJAの展覧会で入賞したそうだ。教室に飾ってあったときは、みんな同じような芋の絵がゴロゴロしていて、特に特徴は感じなかったけど、そこから差異を見つけて評価してくださった誰だかしらんが審査員の方おつかれさまです。
前にも書いた気がするけど、長女は「し」というひらがなを書道で書いて入賞したことがある。そのときの「し」は逆から書いたそうで、力強かった。今回の芋の絵も自由に大胆に描いたのだろう。
賞品にJAらしく「野菜の詰め合わせ」をもらえるとのこと。彼女が家族を食わしてくれる。実に頼もしくてうれしい。
日頃から彼女は絵をよく描く。ぼくの似顔絵も面白かったし、こないだは習いはじめたピアノの音階をひらがなで、音階よろしく「どれみふぁそらしど」と右肩下がりにひらがなで書いて、その下に楽譜のように横棒の線7本とその間に丸をいくつもランダムにかいていた。その間に小さな花を一輪。抽象画としてみてみると、そのレイアウトの美しさに鳥肌が立った。
小学校に入ると写生会のように写真のように描くことが良しとされる。そして誰しも同じような画風になっていく。かといって、デッサンの基本をきちんと教えているかというとそうでもない。単一の尺度で測られ、それで評価されないと自分は「絵が苦手だ」と思い込むことになる。長男はすでに苦手意識をもってしまっている。実にもったいない。写真のようにかけなくても、自分なりに「みたまんま」をまずは自由に描けばいい。気ままに手を動かすことは楽しいことなのだ。その「みたまんま」と描いたものがちょっと違うと悔しくなる。表現しきれていない何かをみつける。それが上達の第一歩。最初から巧く描こうと思うと苦しくなる。
まず手が動く。それはすばらしいこと。親が励まして、大事にしてあげなくては。

おめでとう。

 

いよいよ

次女のオムツが切れそうだ。新しいセットを買うか迷う。もう起きているときはほとんど大丈夫になっているので、もったいないという思いのほうが強い。心配なのは夜のオネショ。これから寒さもますので気になるが、まぁ買わないことにした。お風呂に入ってパンツの上にオムツという逆を試せば朝起きてきれいなままなら再利用してもよかろう。本人もそれでいいとはりきっている。いよいよ我が家からオムツがなくなり、そしてオムツ替えという作業をしなくて良くなると思うと感慨深い。でも「ここでおしまい!」というキッパリとした区切りがほしいな。卒オム式みたいなものを開いてあげたい。そのくらい、大きな成長だとおもう。

続・ズッコケ

息子、昨日着手した5冊目を読み終えて、また昨日読んだはずの1冊を再読しはじめた。ドラゴンボールも7周してたし、まぁリフレインも楽しいのだろう。

長女と次女で近くの結婚式場で保育園の先生が結婚式をやるというのではりきって出かけていった。長女は手紙を書いていた。少しおめかしをして、「お化粧していけばよかった」とつぶやいている。

七五三

そう今日は次女の七五三だった。先日選んだピンクの着物を来て、髪も編んでもらっていた。息子はズッコケを読みたいあまり、ゴキゲンナナメでなかなか外出の準備をしない。いよいよ家で留守番しているといいだしたが、着付けて帰ってきた次女をみて「かわいいだろ」というと「うん」とって「やっぱりいく」となる。

今日は次女が主役ね、と何気なくぼくがいうと、長女にはその言葉がいたく刺さったようだ。おじいちゃん、おばあちゃんの家に行って写真を撮るときも、今日は真ん中は次女だね、といいながら譲る。優しいお姉ちゃんだと関心していたが、どこか無理をしていたようで、その後七五三の飴を次女がもらったりしているのをみて自分の分がないのが気に食わなかったのだろう、表情がどんどん険しくなり、拗ね始めてワガママになる。写真でもなかなかカメラを見ず、しかめっ面になる。長女も2年前主役になっていたんだよ、と諭しても納得するほどオトナでもない。

次女はそんな長女の複雑な心中を察することができるわけなく、お構い無しで主役を楽しんでおる。七五三を参った神社は奈良時代が始まりのやたらと由緒がある神社で、碁盤から飛び降りる儀式がある。平安時代から続いているそうだ。次女、ひとりでとべるかな、と案じる矢先、喜々として飛び降りてご満悦。赤い絨毯まで飛ぼうとおもっていたけど届かなかったよ、と少し悔しそうだった。

注目が次女に集まっているのも気に食わなかったのか、長女はまたふてくされつづけている。それが帰りの車で神社でもらった風船で兄妹でもめ、ラーメン屋でもらった風船でも兄妹でまたもめることにつながった。やたら風船をもらい、それが火種になった。

次女が着物から普段着に変わったところで、ぼくも意識を変えて「次女主役の日」から普段どおりにシフトして、長女をいつものようにかわいがることにした。なるべく長女がいうことを聞いてあげたくて、「お月見したい」と以前いっていたのを思い出し、「いつになったらお月見するの?」と車中から月をみつけていうので、叶えてあげることにした。花火をしながら、長女はいつもの元気な声をあげて月夜の庭を走っていた。今宵の月は本当に明るい。お風呂に入れながら、次女に「きょうはおめでとう」というと長女の顔がまた曇るので、次は長女の7歳が二年後にあるね、という。「二年後って何?」と訊かれる。

ズッコケ新記録

ドラゴンボールが世代を超えて愛される名作中の名作であることはだれしも知るところだけど、ズッコケ三人組のシリーズもやっぱりすごい。最近息子はもっぱらズッコケで、今日は新記録ですでに3冊読んでいる。今4冊目を黙々と読んでいる。23時になっても寝ない。風呂も入らない。集中しているときは邪魔をしないほうがいいというのでそっとしている。明日テニス起きれるかな。さっき「腹が減った」といったのも忘れたようで「もういらん」といっている。せっかく急遽おでんやらを作ったのに。

今夜は妻がいない。帰宅の車のなかで息子と長女がラーメン屋でもらった風船を取りあってケンカしていて険悪だったので、家に帰ってきてからはまだ腹も減ってないだろうから残っていた花火をやることにした。車中で長女が「お月見したい」といったので、月もみながら。花火は大成功で、キャッキャ3人仲良く約140本を飽きずにやる。次女は少し怖いようで、ぼくやら兄に「一緒に持とう」といいながらやる。

我が家は最後に線香花火と決めている。線香花火を3人並んで、しゃがみこみながら火の玉をじっとながめているのをみて幸せな気持ちになる。火の玉がコンクリートの土間に落ちて黒くなる。あとで取れるだろうとタカをくくっていたけど、終わって水をかけてゴシゴシしても落ちないので4つくらいの斑点が土間にできてちょっと凹む。

花火が終わって「ごはんは?」と長女と息子が訊いてくる。「さっきラーメン食べたし、まだいらないでしょ?」といっても「花火をしてたら腹減ってきた」と息子。

その「腹減った」を真に受けて急遽風呂を沸かし、ご飯を炊き、おでんをこっちは作ったのだ。それだけだと偏るのでほうれん草炒めもつくった。

しかし実際それを食べたのは次女だけで、長女もほとんど箸をつけずに寝てしまう。別にいいのだけど、子どもの要求に誠実な自分を褒めてあげたい。でもポリポリ今日の七五三でもらった金太郎飴をなめているのは気に食わない。が、いまの時間からおでんを食べさせるのも気が引けるので何も言わない。そうこうするうちに、息子はまだズッコケの4冊目をたった今、読み終えた。

寝るかと思ったら、5冊目を手にしている。

秋晴れ登園

この2日間はスッキリとした秋晴れ。夜は月もキレイである。

車で行くのはもったいない日和だから、朝は久しぶりに娘二人と歩いて登園。

街路樹、庭先の植栽、遠くの山々が樹々が紅、橙、黄とカラフルになってきた。

道端で次女はタンポポの綿毛を見つけてフーっとやって立ち止まる。綿毛ってどんな季節も生えるものなのかな。

初日は新たな宅地開発のおかげでできた新しい保育園までのルートで行ってみる。このルートは普段の降りてから昇るという谷を超える高低差がなく、途中、舗装もされてないし階段にもなっていない草の茂みをかき分けて、ちょこっと登りさえすればあとは水平に一本道で保育園までつながるという画期的な近道。崖沿いの道なので、眼下には街を見下ろせるパノラマの遠景も広がる。天気がいい今日はさらに先の日本海までスカッと見渡せる。

ただ、その最初の茂みが娘達の顔まである雑草だらけなのでちょっと難関なのであるが、「わー草ぼうぼうだ〜、なんかいろいろついた〜」といいながらもわりとすんなり長女はクリアしていた。さすが保育園でアウトドアを鍛えられているだけある。次女は途中でコケたので、抱っこする。宅地には新しい家の現場が数件進んでいて、工事車両が止まってトンカントンカンやっている。それを横目でみながら保育園に到着。工事の車両以外、まだ車の通りもなく、交差点もない。実に快適で今後はこちらがメインになりそうだ。次女が生えている猫じゃらしと白い花を採れというのでとってやる。

次の日はゴミの日なのでゴミステーションを経由するため、通常の降りて昇るルートでいくことに。長女は運動したくてウズウズしているらしくビューっと先に走っていく。次女は一緒に手を繋いて行きたいのに置いて行かれてショックを受けて泣いてとまる。ぼくが手をつなぎ引きずるように長女が待っている交差点までつれていく。追いつくと、また長女が走り出す。「先にいかんといて」と叫びながら次女もたどたどしく走る。まだ手の振り方がクネクネして足と連動していないのが愛らしい。途中、排水口の溝に躓いて転ぶ。泣く。ちゃんと手をついたねと褒める。すっと立ち上がってまた長女を追いかける。次女の頭の中はつねに長女と同等でありたいようで、何でも負けん気が強い。頼もしくもあり、時々このディマンでィングな性格、他の友だちとちゃんとやっていけるかなと心配になる。

おかげで、春は徒歩で40分くらいかかったけど、最近は20分くらいで行けるようになった。二人を抱っこするのも100メートルそこらで腕に限界がくる。もう二人を抱っこすることができないかと思うと寂しいし、半年でこれだけの変化があると気づき愕然とする。

しかも、その日は次女はいつもは1段も登らない保育園の直前の心臓破りの階段130段を全部一人で昇ってしまった。これも長女を追いつけ追い越せの意地の力がそうさせている。いつもの「パパ抱っこ」というのまで忘れる猛進。

階段登りきって、褒めてあげると思い出したようだ。長女が「ここ蜘蛛の巣あるから気をつけて」といった箇所で「パパ抱っこ、もう歩けない」という。無理もないが極端だ。

保育園の園庭について、わざわざ築山を昇って降りて入り口に向かう長女。次女も「降りる」と要求、長女を追うように保育園に入って到着。もう歩けないことはもう忘れている。

以前は微笑ましく手を繋いで歩いていたのに、ここ数日はルパンと銭形警部のような関係になっている。まぁ朝から身体を動かして楽しそうだからよい。こんな気持のいい日はあと数週間。その後はいよいよ曇天が続く冬が待っている。