食い意地

次女のサバイバル能力がめざましく高まっておる。兄姉と同じ扱いにせよという要求はもちろんだけど、取り分けるとき、自分が一番大きいものがいいと主張するようになった。長女と次女がバナナをたべるというので2本くっついたまま次女に渡して、1本を長女に渡してとお願いしたら、ちぎった後、ほぼ同じサイズにも関わらず見比べて小さい方を渡そうとする。それを見透かした寛容な長女は笑いながら「どっちでもいいわ!」とツッコミが入る。

それにしても次女はミカンを剥いたらやたらあの白い部分をとってくれといったり、ピオーネも兄と姉は皮ごと食べるのに皮を剥かないと食べないという。なので手間がかかる。そういうお年頃なんだっけ、それとも性格なのかな。わが父と食べ方でもある。

バスケ

昼休みにやっているのか、「バスケやりたい」と息子が言い出した。最近は父ちゃんのバスケについてこなかったのが普通だったけど、こないだ久しぶりに「行く」というので連れていったら随分ドリブルらしくなっていて驚いた。

やらせてあげたい気持ちはある。テニス、サッカー、水泳を習うこの多忙ボーイにその時間を捻出できるのかしら。しかもバスケはスクールではなくチームなので練習日も多そうだ。サッカー、テニスも捨てがたく、バスケ一本にするのもなぁ。

一緒にバスケするのは夢だけどな。うーん。

ごくらく

次女と長女を寝かしつける時間は幸せだ。ついでに最近はうつ伏せになって背中を長女と次女に踏んでもらいマッサージをしてもらっている。かつては長男がやっていたが最近は寝る時間もずれるし、体重も重たくなるし、立つと寝床に頭ぶつけるし、レギュラーとしてはきびしい。何より本人も積極的ではない。ときどきやってきて長女と次女を指導する立場になりつつある。

 

長女と次女は現役選手として快く引き受けてくれる。まずは次女が何回か背中でジャンプして、そのあとふくらはぎを両手でトントン。長女のやつをみて見よう見まね。すぐにやりきった感がくるようで、時間は短くて数十秒。重さも軽いのでほぐれることはない。けどいつかこの子も3代目になる布石。

「ありがとね〜んじゃ交代」と次は長女。ちなみに長女が先になることはない。押しの強い次女が「わたしが先!」と主張するから。譲るのも姉のたしなみ。

長女はほどよい体重で、時間をかけて首の下から背骨にそって肋骨のあたりまでじっくり足を前後にグリグリしてほぐしてくれる。「やわらかくなってきたね〜」。うっとりしてきて眠たくなる。「ありがとう〜。ごくらく。ごくらく。」とつい言葉がでる。

この何気ない一言を聞いていた次女。「ごくらく」の意味を知っているはずはないが、満足そうな父の顔をみて感じたのだろう。自分のときは「『ごくらく』がなかった」と寂しがって、だんだん顔がくしゃくしゃになって「『ごくらく』いってほしかった〜」と泣き始める。

正直、次女のあの軽さと短さでは「ごくらく」まではいざなわれなかったが、お世辞でもいうべきだったのか。

あわてて「ごくらくやったよ」とフォローしてもあとの祭りで、長女のマッサージは中断して慰めにかかる。「んじゃ、もう1回やって」といってもやらない。ストイックなまでに姉と同じ扱いを求めるハングリーさをなめてはいけない。

まだまだ「『ごくらく』ほしかった〜」と泣いている。極楽を欲する娘。漂う終末感。このシュールな状況についつい笑ってしまう。

それをみた長女は泣いた人を笑うというデリカシーのなさを感じとったのだろう、「笑ったらダメやよ」とダメ出しされて、父じゃアカンとおもったのか、犬のぬいぐるみを持ってきて、それをつかってあやし始めたら泣き止む。おねえちゃん偉大。

 

後日。その後、かならず「ごくらく」を次女にはひつこいくらい言ってお腹いっぱいになっていただいてから長女の番。長女の背中が終わってふくらはぎを思いっきりトントンやってとお願い。「いてっ!でもその痛いくらいがいい」といいながら続けてもらうと、また次女が自分のときは「『いてっ!』なかった」とおねえちゃんズルいといいながらベソをかき始める。次女の競争心はかくも厳密なのか。

同じ過ちは繰り返えすまいと素早く次女に交代してもらい、「いてっ」を献上する。もちろん痛くはない。

ほぐれる幸せな時間ではあるが、いささかの緊張感がある。

パンツ記念日

次女を保育園に迎えにいくと「パンツ汚れてないよ」と報告。一日オムツなしで無事にいけたらしい。パンツを初めて2週目くらい?失敗もあったけど、ついにたどりついた。実にめでたい。

今朝も歩いて登園。次女は土間で靴を履くときから「途中でパパに抱っこっていうけどね」と歩かない宣言。数十メートルあるいて公約どおりに抱っこになる。

いつも通る家の前のモミジをみて「あの葉っぱ、紅くなっとるよ」と気づく。もうすぐ冬だねというと「雪だーいすき」。

ブタクサの花が増えた。花粉がきらいなぼくは逃げるが長女は匂いを買いでいる。猫じゃらしを手にとってニギニギやると毛虫みたいに動かすと喜ぶ。

長女は後からついてくる「重い、疲れた、暑い」とブツブツ。ほんとうは長女も抱っこしてほしいのかもしれないけど、分かってくれてていいださない。カバンを持ってあげようか提案しても「いい」と断る。姉としての自覚を感じる。

半年前は二人を抱っこしていたのに今じゃ次女一人の抱っこも腕がつかれる。次女はこの1ヶ月で1センチ身長がのびたそうだ。

親子磁石

親と子どもの体内には、磁石があるとぼくは思う。

生まれてすぐは極が反対向きで、親と子はくっつきあってるのだけど、時間とともにその向きが反対になっていって、次第に遠のいていく。

 

その話をいま最も尊敬してやまない香山先生にしたら教えてくれた。

「子どもの歳って、『つ』がつかなくなったら、親から離れるんだよ。『むっつ』、『やっつ』、『ここのつ』。そして『とう』。9と10は、全然違うんだ。10歳になると、急激に親から離れるようになる。でもそれで、いいんだよね。そしてまた、その時期はもっとも仕事が大変な時期でもある。そしてそれもまた、それでいいんだよなぁ。」

そして息子はいま9つ。まだ膝の上にくることがある。でもあと1年もしないうちに離れるかと思うと寂しい。率直に伝えると、「まあね。でもそれが自然なことで、いいんだよ。そうならないほうが、逆におかしいと思いな」と慰めてくれる。

 

「実は、いまぼくは小さい子どもたちとの時間を楽しみたいから、週の半分しか働いてないんです」と打ち明けたら、先生は少し驚いた顔をして、しばらく「そうかぁ、へぇ〜」っと深く頷かれてから真剣な表情になって、

「それはすばらしいことだと思うよ。親になった以上、人生で我が子を育てる仕事以上のものはない。この歳になってつくづく、そう思うね。」

と勇気づけてくれた。ほんとうに先生は大きくて、優しい。

 

その先生は建築界の重鎮でいらっしゃる。建築家より忙しい仕事をぼくは知らない。しがない公務員でしかないぼくが、さらに仕事をセーブしてるなんて恥ずかしくてしょうがないし、一般的には軽蔑されても仕方ないとも思う。でも先生にそういってもらえて、この生き方を選んだ以上、親の仕事を堂々と全力でやってみるか、と開きなおれた。迷わずいく。

 

別の日に先生とまたお会いしたら、ご多忙な日々が続いていたのを心配して「娘が差し入れてくれて」というチョコレートを分けてくれた。優しいカカオの味が口の中に広がる。磁石の向きは、やがて子どもが大人になったら一周してまた返ってくるんだ。明るい気持ちになれた。

それにしても、建築家としても親としても成功している先生はとても眩しくて。家族を養い、スタッフも養う。できた建築はいろんな人に感動を与えている。とんでもなく偉いのに、目線を合わせて身近に話をしてくれて人を元気にする。真の知性や感性、つまりは人間性、みたいなのがあるとしたら、こういうことなのかと仰ぎみる。ただただ、かっこいい。

 

息子は今日も夜更かしで、今日だれかからもらってきた石を磨きたいからヤスリはどこだと聞き、在り処を教えると自分でとってきてセッセと磨いて喜んでいる。こっちは歯を磨いて寝てほしい。

風呂の中から洗面所で石を磨いている彼に朝がつらいから早く寝なと促すととしぶしぶ歯を磨いた。寝床に彼が先にいくと「一緒に寝よ」といってくるから、寝るまで横にいる。ぼくが犬のぬいぐるみを頭で踏んでいたようで「はい、枕。かわいそうだから」と枕を差し出された。

 

ランドセルの色

今朝、車に乗る長女から「小学生になったら紫色のランドセル買って」といわれる。いまどきのランドセルはいろんな色がオッケーらしい。「赤色じゃだめなの?」と聞けば「紫色がいい」。いいのかなぁ、紫色。ランドセルの色に関してはわたくし保守的な考えでして、長い目でみればやはり赤なんじゃないかと思ってしまう。息子のときはとくに本人興味がなく自然と黒で落ち着いた。まぁ本人の希望だからいいよというけど、あまり気がのらない。一連のやりとりを聞いてた次女が後部座席に座りながら自分は「赤色ね!」という。

今日の小学校の下校時を見てみたら、たしかに紫色のランドセルがけっこういる。しかもとても淡い。ラベンダーの色。いかにも女の子らしい花柄のような装飾をしている。

赤の方がやっぱりいいとおもうんだけどなぁ。

参観日

息子の参観日。わかったこと。クラスの中でもっとも字が読みにくい。文章があっけない。

平和の授業というやつで、ヒロシマの原爆体験を聞いた感想文。多くの子が残酷がわかったとか、痛みや悲しみなどを盛り込んで目一杯書いているなかで、息子は「平和が一番だと思いました。わけは街がなくなったり、いちどにひとがたくさん死ぬことがないからです。」と短い。行の半分も埋まってない。実にドライ。

本を読んだり国語は好きでも、こういうのは興味ないのかな。

昨日クラスで好きな子いるの、と聞いても「おらん」とそっけない。隠しているわけでもなく、あまり興味ないそういうの、というかんじ。

そういえば1学期の通知簿渡しのとき、てっきり国語が得意といわれると思ったら、先生からは算数を褒められて意外だった。ほんとうか、と思ったけど、今日の感じをみたらなんとなくわかった気がした。

習字を習わせないといけないなぁ。