フドウ戦争

長女と次女がささいなことでもめる。もっとも、本人からしたら「ささいなこと」ではない。大人が勝手に決めておる。

長女に保育園で悲しいことがあった日。先生からも謝られ、しょんぼりしてるから「好きなもの買ってあげる」とスーパーに行く。それを言う場所をもっと選ぶべきだった。入ってすぐの果物売り場でそれを言ったために、すぐそばにある巨峰に手を差し伸べる。高い。こないだ友人の家で食べさせてもらったのがよっぽど美味しかったようだ。大きいパックをつかむから、小さいパックにそっと変える。値段が300円くらい違う。なんでそのまま大きなパックじゃないのか不思議そう。そりゃそうだ。「好きなもの」といったのに。まぁこれも大人の都合。

一連で横でみていた次女。なんかイヤな予感がしたら、案の定自分は「これ買う」といって今度はデラウエアのパックをつかんでいる。「小さいのがいい」といって聞かない。

巨峰にデラウエア、両方一度に買うほど余裕のあるご家庭ではない。「今日は大きいのにしよ。今日はお姉ちゃんのほしいもの、買ってあげよ」と説得しても「はいそうですねお父さん」という次女ではない。おとなしく言うことに従うか、ここで泣かれるかどちらかを選べ、というのが次女の流儀。

懐柔しようとすればするほど、小さな手に力が入り、デラウエアのパックに穴が開きそうなので、観念する。

買い物かごに入れていた梨を戻し、デラウエアと巨峰両方を買うことに。

まだ冷蔵庫にどちらもある。おとなしく買えば、食べなくても満足なのかしら。

忘れているみたいだから、食べちゃおうかな。