みんな寝て、ダイニングには長男とぼくが二人。
宿題がおわらない長男が、「タイムマシンって出来たらすごいな〜。ほんとにあるんかな〜」とつぶやく。
「たぶんないけど、光の速さとかで走ったら、時間は遅く進むらしいよ。だけど、過去にはいけないか、それじゃ。」とか、皿を洗いながら返事。
そんなとき、ひらめく。ひょっとして!
長男とカミオカンデを見学にいったとき。世界には粒子の反対の性質をもつ、反粒子というのがあるときいた。反粒子からできたのが反物質。わたしたちが目にしてる物質の反対。反物質はほとんど見つかっていない。なんでないんだろう、消えちゃったのかしら。科学の謎らしい。
いや、そもそも、そんなもの、存在しないからじゃないか、と考えちゃうのだけど、それだとダメらしい。
物理学者的には反物質も物質と同じだけ存在してないと、宇宙を司る物理の法則の説明がつかないんだとか。天才たちはそう考えているそうで。凡人からしたらその奇抜さはアーティストもSF作家も物理学者もかわらんよ。 反物質をつくるのは反粒子で、質量は同じだけど、電荷やスピンが逆という。ドラゴンボールでいうと神様とピッコロみたいなものなのか。宇宙が誕生したときは、物質と反物質が同じづつだけあったはずで、でも今の宇宙には物質がほとんど。反物質はどこにいったんだ?!という謎。
で、ふと思ったこと。妄想便乗。
なにもかも反対なら、その反物質の世界は、時間も反対に進んでたりする、とかはないのかしら。宇宙が誕生したときに、物質は現在から未来に。反物質は現在から過去に進んだ。電車の進む向きが逆。だから、あるのだけど、前を見ている限り見えない。時間が進む方向だって、一つだと限らない、というのはないのかな。
そう考えたら、タイムマシンは電車を乗り換えれば、乗り換えれば過去にいけるのは、ありえるのかもしれない。ただ、反物質にならなきゃいけない。いっそ反人間、とでも呼びましょうか。
「あの人、反人間だから。」
なんともいえない厭世的な響き。デーモン小暮が思い浮かんでしまった。
長男とのふとした会話が、こういう発想につながるのは、子育ての醍醐味だなぁ。普段はドラゴンボールの話題ばっかりだけど。
カミオカンデ見学に連れて行ったおかげで、反粒子・反物質の概念はなんとなくわかっている(気がする)。子どもだからわからないということはなくて、凝り固まった大人よりも、「そんなもんか」と飲み込みがスムーズだったりする。
カミオカンデ見学は、去年の最も衝撃的な体験だった。極端だけど、死生観がかわった。その話は、またいつか。