ズッコケ新記録

ドラゴンボールが世代を超えて愛される名作中の名作であることはだれしも知るところだけど、ズッコケ三人組のシリーズもやっぱりすごい。最近息子はもっぱらズッコケで、今日は新記録ですでに3冊読んでいる。今4冊目を黙々と読んでいる。23時になっても寝ない。風呂も入らない。集中しているときは邪魔をしないほうがいいというのでそっとしている。明日テニス起きれるかな。さっき「腹が減った」といったのも忘れたようで「もういらん」といっている。せっかく急遽おでんやらを作ったのに。

今夜は妻がいない。帰宅の車のなかで息子と長女がラーメン屋でもらった風船を取りあってケンカしていて険悪だったので、家に帰ってきてからはまだ腹も減ってないだろうから残っていた花火をやることにした。車中で長女が「お月見したい」といったので、月もみながら。花火は大成功で、キャッキャ3人仲良く約140本を飽きずにやる。次女は少し怖いようで、ぼくやら兄に「一緒に持とう」といいながらやる。

我が家は最後に線香花火と決めている。線香花火を3人並んで、しゃがみこみながら火の玉をじっとながめているのをみて幸せな気持ちになる。火の玉がコンクリートの土間に落ちて黒くなる。あとで取れるだろうとタカをくくっていたけど、終わって水をかけてゴシゴシしても落ちないので4つくらいの斑点が土間にできてちょっと凹む。

花火が終わって「ごはんは?」と長女と息子が訊いてくる。「さっきラーメン食べたし、まだいらないでしょ?」といっても「花火をしてたら腹減ってきた」と息子。

その「腹減った」を真に受けて急遽風呂を沸かし、ご飯を炊き、おでんをこっちは作ったのだ。それだけだと偏るのでほうれん草炒めもつくった。

しかし実際それを食べたのは次女だけで、長女もほとんど箸をつけずに寝てしまう。別にいいのだけど、子どもの要求に誠実な自分を褒めてあげたい。でもポリポリ今日の七五三でもらった金太郎飴をなめているのは気に食わない。が、いまの時間からおでんを食べさせるのも気が引けるので何も言わない。そうこうするうちに、息子はまだズッコケの4冊目をたった今、読み終えた。

寝るかと思ったら、5冊目を手にしている。

秋晴れ登園

この2日間はスッキリとした秋晴れ。夜は月もキレイである。

車で行くのはもったいない日和だから、朝は久しぶりに娘二人と歩いて登園。

街路樹、庭先の植栽、遠くの山々が樹々が紅、橙、黄とカラフルになってきた。

道端で次女はタンポポの綿毛を見つけてフーっとやって立ち止まる。綿毛ってどんな季節も生えるものなのかな。

初日は新たな宅地開発のおかげでできた新しい保育園までのルートで行ってみる。このルートは普段の降りてから昇るという谷を超える高低差がなく、途中、舗装もされてないし階段にもなっていない草の茂みをかき分けて、ちょこっと登りさえすればあとは水平に一本道で保育園までつながるという画期的な近道。崖沿いの道なので、眼下には街を見下ろせるパノラマの遠景も広がる。天気がいい今日はさらに先の日本海までスカッと見渡せる。

ただ、その最初の茂みが娘達の顔まである雑草だらけなのでちょっと難関なのであるが、「わー草ぼうぼうだ〜、なんかいろいろついた〜」といいながらもわりとすんなり長女はクリアしていた。さすが保育園でアウトドアを鍛えられているだけある。次女は途中でコケたので、抱っこする。宅地には新しい家の現場が数件進んでいて、工事車両が止まってトンカントンカンやっている。それを横目でみながら保育園に到着。工事の車両以外、まだ車の通りもなく、交差点もない。実に快適で今後はこちらがメインになりそうだ。次女が生えている猫じゃらしと白い花を採れというのでとってやる。

次の日はゴミの日なのでゴミステーションを経由するため、通常の降りて昇るルートでいくことに。長女は運動したくてウズウズしているらしくビューっと先に走っていく。次女は一緒に手を繋いて行きたいのに置いて行かれてショックを受けて泣いてとまる。ぼくが手をつなぎ引きずるように長女が待っている交差点までつれていく。追いつくと、また長女が走り出す。「先にいかんといて」と叫びながら次女もたどたどしく走る。まだ手の振り方がクネクネして足と連動していないのが愛らしい。途中、排水口の溝に躓いて転ぶ。泣く。ちゃんと手をついたねと褒める。すっと立ち上がってまた長女を追いかける。次女の頭の中はつねに長女と同等でありたいようで、何でも負けん気が強い。頼もしくもあり、時々このディマンでィングな性格、他の友だちとちゃんとやっていけるかなと心配になる。

おかげで、春は徒歩で40分くらいかかったけど、最近は20分くらいで行けるようになった。二人を抱っこするのも100メートルそこらで腕に限界がくる。もう二人を抱っこすることができないかと思うと寂しいし、半年でこれだけの変化があると気づき愕然とする。

しかも、その日は次女はいつもは1段も登らない保育園の直前の心臓破りの階段130段を全部一人で昇ってしまった。これも長女を追いつけ追い越せの意地の力がそうさせている。いつもの「パパ抱っこ」というのまで忘れる猛進。

階段登りきって、褒めてあげると思い出したようだ。長女が「ここ蜘蛛の巣あるから気をつけて」といった箇所で「パパ抱っこ、もう歩けない」という。無理もないが極端だ。

保育園の園庭について、わざわざ築山を昇って降りて入り口に向かう長女。次女も「降りる」と要求、長女を追うように保育園に入って到着。もう歩けないことはもう忘れている。

以前は微笑ましく手を繋いで歩いていたのに、ここ数日はルパンと銭形警部のような関係になっている。まぁ朝から身体を動かして楽しそうだからよい。こんな気持のいい日はあと数週間。その後はいよいよ曇天が続く冬が待っている。

窓にドンッ

テラスに面するガラスを磨いて、ブラインドを開けた朝。朝ごはんをつくっていたらゴトンと音がして、テラスをみたら小さな野鳥が落ちていた。横向きに倒れ、身動きをしない。キツツキの仲間かな。ガラスがないとおもってスピードをつけて衝突、いたたまれない気持ちになる。きっと脳震盪を起こしているのだろう。

以前も同じようなことがあった。ベランダにひな鳥がいて、飛べなく佇んでいた。あの鳥も、こういうことだったのか、我が家が鳥にとって武器になっていたとは。かわいそうに。

長女と次女、妻と一緒に様子をかがっていると、数分したらムクっと身体を起き上がらせて、二本の足で立つ普通の鳥の姿勢になった。死んではいなかったので安堵するものの、またその姿勢のまま動かない。首をキョロキョロさせるのが鳥らしいのに、それもない。辛うじて瞬きはしている。まだボーッとしているのがわかる。

長女は「ピーちゃん」と名付けて近くでよびかけている。次女は遠くから眺めている。

そうだと閃いたのか、お風呂にあるピンクの小鳥の笛、水をいれて吹いたら鳥の泣き声のような音を出すやつを持ってきて、ピーピーと奏でる。実の鳥にむけた虚の鳥の声。

首を少し動かしはしたものの、実の鳥からしたらニセモノはニセモノだったのかリアクションは薄い。そばに置かれた鳥型の笛と野鳥。いずれも動かない。心配そうに長女は優しくナデナデさすっている。

 

小さな足がテラスの床の木材と木材のすき間に入って立ちづらそうなので、皿をもってきて掴んでいれてやる。触っても抵抗せず大人しい、まだココハドコ、ワタシハダレな表情。

ちょうどサンドイッチを作ったので、パンの耳の切れ端があったからあげてみる。が、ピーちゃんは人間から与えられたものは食べない、と前回の小鳥を持っていった獣医さんがいっていたように、やはり見向きもしない。その前に存在に気づかない。

水は飲むかも、ということで水を入れた器を皿に入れてやる。やはり気づかないので、水がある向きに顔を向けてやろうと掴んだ瞬間、ピーちゃんはバババっと羽ばたいて外に飛んでいった。

力強く飛んでいった姿をみて、みんなでよかったね、といいつつ、突然の別れに一抹の寂しさが残る。鶴の恩返し、あれは作り話なんだな。現実は無力なり。朝からごめんね、ピーちゃん。

むすこのいろいろ

テニスに送る車中。息子の話。

・なんで鏡って映るのか知りたい。

・「喪中」って何か。足利尊氏がいっていた。

・アメンボは水面が揺らいだ振動で虫がいるのを感知して養分を吸いにいく。油分が手についているから水に浮かんでいる。界面活性剤をいれたら沈む。環境にわるいけどね。コナンに書いてあった。

 本や漫画が好きなのおかげで会話の幅が広くなってきた。

昨夜はちょっとパソコン貸してっていって、たどたどしくローマ字表を取り出しながら自分の名前をタイピングして、できた、と喜んでいた。キーボードの文字を探しながらやるので30分くらいかかっていた。最近の小学校はそんなことも教えるのか。

イチョウの樹を描いた写生大会は入選ならずでがっかりしていた。小学校は写実がうまい絵を選ぶからな。でもぼくは息子の画力はないが少ない線で要点は得ている絵はキライじゃない。もうすぐマラソン大会。

大事なのはスキルじゃない、まずはウィルを育んでくれたらいい。

やっぱり我が子

図書館に車で行く途中、選挙の話になって、「オレ、だれが総理大臣になろうと別にいいから、選挙いかんわ」と息子が言い出す。まだ選挙権はないので気の早い発言だけど、それはマズイということで、投票権を一人一票持つという民主主義の重み、みたいなのを一応説明。総理大臣だって一般庶民だって、選挙になったらだれしも平等に一票しか持てない、そういう仕組みになるまでたくさんの人が努力して、このシステムを作り上げた云々かんぬんとオヤジくさい話をする。

興味を持ったかはわからない。ぼくも納税者になるまで興味は持てなかったし、自分一人の力がどうなるものでもないと諦めて投票してこなかった口だったから。


息子は「いままで行ってなかった人は、貯めてた分、一気に使えたりするん?」と口にした。「そうなったら、おりゃーって使えば、面白そうやん。」

それ、父ちゃんも全く同じことを考えたことがある。ぼくが今まで棄権した分をまとめて使う。そうできるようになったら、どう変わるのかな。

それできたらいいのにね、と共感しつつも現実は残念ながらそうなっていないとマジメに伝えたら、また興味が薄れたようだ。
そもそものルールにまず興味をもつその思考回路、手に取るようにわかる。しみじみ、親子だなぁ。

台風くっきんぐ

今日は台風なので、遠出はせずに近場をちょこちょこ。妻は研修とやらでお出かけ。家で子ども三人の面倒をみる。
夜の息子のサッカーまで午後は時間があったので、長女に声をかけて一緒に肉じゃがつくることに。次女は都合よくお昼寝。


じゃがいも、人参、お味噌汁用のナスを切ってもらう。こないだの保育園の自然体験教室でも発見したのだけど、この子は切り方が実に大胆というか雑というか男らしいというか、よくいえば思い切りがよい。
大きさを揃えたり、切った後きちんと並べたりということにはあまり興味がないらしい。まな板にバラバラと断片が散らばっていく。「ボールに入れたらいいよ」、と横に置くとムギュっとつかんでポイっといれる。人間キッチリ派とザックリ派に分けるなら、キッチンの彼女は後者だ。「食べれればいいじゃん」というかんじ。ぼくに近いものを感じる。ここが似たか。

おかげで普通に戦力になって、料理はサクサク進んだ。

が、「ねぇここ血が出てるよ」の一言。

みたら左手の親指と人差し指の間が浅く切れて血が出ている。ぼくも本人も気付かず見逃してしまったらしい。痛くないのか彼女は冷静で、取り乱したり泣いたりはしない。いつ切ったのだろうね、といいながら絆創膏を貼ってあげる。もっとちゃんとみてればよかったと申し訳ない気持ちになってくる。保護者の保護が泣く。でも「痛い」はお風呂に入ってもなかった。強くなったものだ。

ひとまず、包丁は中断だけどキッチンから離れることはないので、お味噌汁の鍋をかき混ぜてもらったり、味噌をといだりしてもらう。お玉にとった味噌をそのままひっくり返そうとするので、そこは菜箸でゆっくり溶くのだよ、と教える。ここもやはり大胆だ。

 

今朝は彼女が一番早くおきて、寝床にあるピアノを引いてその音色で起きた。両手をつかって、メロディになってきている。そのピアノを引いているキャラと、まな板で包丁をザックザックやる彼女のギャップ。きらいじゃない。
思い切りがいいことはいいことなので、大事にしてあげたい。ポジティブさがないとできないから。
いつもこの日曜日の時間は何してるんだっけか。一緒に料理して過ごすの、いいな。

書いてて思ったけど車を運転するようになったらスピードけっこう出しそうだな、指をちょっと切ったように、車こすったり。そればっかりは安全運転をお願いしたい。

 

今日は台風のおかげで初めて長女と料理した記念日。

姫がいうから

結婚記念日くらい、晩御飯は普段いかない焼肉に夫婦間では何となく、なっていた。その日は次女が連休の東京ドライブの疲れか発熱と咳でお休み。ぼくが面倒をみていた。二人っきりで過ごしているので、「何食べたい?」とか何ともなしに聞いてみたら「焼きそば。ダイスキだもん」というお返事。焼肉に焼きそばないよな、とぼんやり。

妻が晩に長女を連れて帰ってくる。長男も帰宅。次女も大丈夫そうだからいざ焼肉、というときに次女が「どこいくの?」。「焼肉だよ」と返すと数秒間があいて、「焼きそば食べたいっていったんですけど。」と思い出して淡いクレーム。まさか昼間のやりとりをしっかり覚えていたとは。

急遽焼きそばと姫がおっしゃっていますと妻に伝える。

焼きそばを出す店で結婚記念日にふさわしい店を近所で巡るが、餃子の王将しか思いつかない。普段行かない度合いでいくと焼肉と変わらないくらいの頻度だが、「結婚記念日に餃子の王将か」と車中でやるせなくつぶやく妻の一言が痛い。内心「なんで次女にそんな質問したんだよ」という批判でもある。

「王将以外にどこあるかな」と車を走らせながらあの店この店考えるが決めてにかける。ふっきれたように「いいわ、王将行こう」と妻がいう。もう期待を捨てた、というのが伝わってくる。

王将だと、いいところもある。焼肉店とちがい、何の躊躇もなくメニューが頼める。結局長男が餃子をバカ食いして4皿頼んだ。出て来るのもなんでこんなに、というくらい早い。何より、子どもがいても気を遣わずにすむ。次女が水をこぼしても出禁にはならず暖かく対応してくれる。ただ、薄々そんな気もしたが、次女は焼きそばを出してもまったく食べなかった。数時間前に食べた卵かけご飯がまだ残っているのだろう。何度も「焼きそば食べな」というがまったく興味を示さない。これがもしも仕事の相手先だったら二度とつきあいたくない。とはいえ、他ならぬ娘なので仕方がない。最近はこの3人目に振り回されておる、それが今年の我が家の結婚記念日。

長女、次女が大きくなって、ママが昔、結婚記念日に餃子の王将だったことあるよ、と振り返ったとき、「パパ、さいてーだね」とかいう日がくるかもしれないが、そのときは次女のご意向とご発言をいかに重んじていたかを伝えたい。