参観日

息子の参観日。わかったこと。クラスの中でもっとも字が読みにくい。文章があっけない。

平和の授業というやつで、ヒロシマの原爆体験を聞いた感想文。多くの子が残酷がわかったとか、痛みや悲しみなどを盛り込んで目一杯書いているなかで、息子は「平和が一番だと思いました。わけは街がなくなったり、いちどにひとがたくさん死ぬことがないからです。」と短い。行の半分も埋まってない。実にドライ。

本を読んだり国語は好きでも、こういうのは興味ないのかな。

昨日クラスで好きな子いるの、と聞いても「おらん」とそっけない。隠しているわけでもなく、あまり興味ないそういうの、というかんじ。

そういえば1学期の通知簿渡しのとき、てっきり国語が得意といわれると思ったら、先生からは算数を褒められて意外だった。ほんとうか、と思ったけど、今日の感じをみたらなんとなくわかった気がした。

習字を習わせないといけないなぁ。

放課後テニス

昨日の息子は忙しくて、学校おわって、公文にいってテニスの振り替え。公文で降ろすとき、お腹が減った、テニスもあるのと珍しく消極的。家で休む時間がほしいと。家に寄る時間はない。言葉少なくテンションが低い。昼休みサッカーを沢山したり、疲れているようす。

公文終わったらバナナ持ってくるからと慰めて公文にむりやり行かせて、その間に夕食の親子丼の具材をスーパーで買って、長女と次女を迎えに行く。数分でも遅れたらテニスに間に合わない、針で糸をとおすような流れ。

公文で長男を回収、長女を送る。

先生が少し当惑した顔をしていて、なんでかなとおもったら、公文に着くなり、息子は机につっぷして寝たらしい。のぞくと、全身の力がぬけて熟睡しておる。

「まだ、寝かしときます?」と優しい先生はいってくれるが、テニスが15分後からはじまるので起こしてもらうことにする。10回くらいよびかけて、ようやく反応する。深い眠りにいたのだろう。まわりの小学生たちが「どうしたどうした」と野次馬になる。「来なくていいから」と先生が混乱を落ち着かせる。

起きた息子はしばらくここはどこ、わたしはだれ、といった顔。眼が真っ赤である。

「ねむい〜」を連発しながら13分後にはテニスコートに立っているとは想像できない足取りで公文を出る。

車に戻る。次女はお利口に待っていた、があとあとおそらくこの間にオモラシしたであろうことがテニスの駐車場で判明。

テニスまでの車のなかで励ましながらバナナを2本、福島県のおみやげのお菓子を与えながらなんとか気力を元にもっていく。信号待ちの間に着替えさせる。いつもと違うハーフパンツをもってきてしまって、またテンションが下がっている。

一連のやりとりを次女はおとなしく後部座席からみながら、兄と同じ分だけバナナとお菓子を食べる。

なんとかテニスに着く直前で普段の息子に戻り、なんとかテニスもこなした。

帰り道、金曜日のテニスは子どもの数も少なくていっぱいできるからいいんじゃないの、というと顔がひきつって「いやや、疲れるもん」ときっぱり否定。

長女は相変わらず公文が楽しいらしくて進みが早い。お兄ちゃんが起こされているくだりをママに報告。

今朝もテニスに来ている。足はやっぱり今日の方が動いている。

学校でどんだけ遊んどるんやろ、この子。いいことやけど。

くまさん

半袖で寝てたら、朝寒くて起きるくらいになった。

いよいよ回覧板で「熊が夕方出ますので、公園で子どもたちが遊んでいたら早く帰るようにいいましょう」とお触れが出た。同じ町会を歩いてらっしゃるらしい。

もしもあったら、ぜった背中を見せないで、目を合わせたまま、後ろに下がるように子どもたちと会話。真剣な眼差しで聞く。山形の農家さんから教えてもらったこと。背中を見せたらやられるらしい。「鉄砲もってたら、やっつけられるのにな」と長男。

「水鉄砲もってるから、だいじょぶやね」と次女が応じる。有事にほんとにそう思い込んだらまずいかなと、「水鉄砲じゃ、やっつけられないんじゃないかな」といちろう事実を伝えても、「大丈夫だね、鉄砲だもん。」と伝わらず。まぁ、ほんものの鉄砲を知らない世の中であるほうがいいしそれ以上はいわず。

あさがお

朝顔が終盤を迎えている。葉も増えず、ツルも伸びず、咲く花の数が減って、葉っぱの色が薄くなり、生命力も日に日になくなっていっている。
今年初めて2階までネットをはって、種を植えた。芽が出て、どこまで伸びるかなと期待しながら毎日眺めていたのは楽しみだった。6株くらいのうち、1株は2階の屋根の直ぐそばまで伸びてくれた。

妻はプランターが浅いから伸びないし茂るのに限界があると言っていた。図書館とか、他の家を眺めたところ、確かに倍くらいある立派なものだ。来年はケチらずにそうしよ。

咲かなくなったあとは、種がなる。せっせと息子が集めている。種を残して次世代を作ることが、自分の人生より大事になる。朝顔も同じなのだ。

今朝は二つの深い紫色の花が咲いていた。花びらはシルクのように分厚く立派で、今年一番の美しさだった。

 

世界の王

車内でテレビをつけていると、カンボジアの少年少女が横浜に来ていろんな世界の子どもたちと寝食を共にしながら野球をやったという特集を見る。カンボジアは春に息子といった。息子も食いついて視る。グローブやボールがプレゼントされて嬉しそうだ。

会長は王貞治だそうで、インタビューを受けている。息子が「え、この人、王様なん?!」とびっくりしている。「いや、王さんだ」といかにこのオッサンが偉大な選手だったかを説明する。といってもぼくもリアルタイムで知ってるわけでもない。ホームランの世界記録を持っている、持っていた?人ということで日本野球界の伝説の人なのだというと「だから王っていう名前になったの?」と話は振り出しに戻る。

テレビの中で一人の少女が選手宣誓をしていてクメール語なのだけど、最後に「オークン(ありがとう)」といって締めたので、「あ、『オークン』っていったな」と盛り上がる。旅行中よく口にした言葉だ。一気にカンボジアのことが二人の頭に蘇る。

ひろしまハウスの子どもたち、サッカーうまくなっているかな。」

「まあ友廣さんがコーチなんやから、そりゃ巧くなってるだろう。」

「また会って試合したいな」

息子にとって思い出深い旅になっているようでうれしい。

いい旅だった。また、行きたい。

ひたむき

長女が公文の国語をはじめて、ひらがなを一生懸命読んで、書いている。

終わったら「ぜんぶやったよ」と誇らしげに胸元にくる。学ぶことって、もともとは楽しいんだな。ずっと大事にしてほしい。

公文は安くない。家計としては月額の固定費が増えてくるしいけど、やりたいといえばやらせてやるのが親の仕事。

秋きたる

9月に入って、あんなに暑かった夏はどこにいっちゃったのかな。いつのまにか、蝉の鳴き声から、鈴虫の声に変わっている。アサガオは頑張って2階まで伸びたけど、葉の色が日に日に薄くなっている。花も少なく、種をつくっている。寝起きは寒いくらいで、子どもたちのパジャマは長袖になった。

芝生の上をここ数日、同じきれいな小鳥が歩いている。このまま住み着いてほしいけど、車を出すときにいつも逃げてしまう。

今日は強めの雨が続いていて、2階の屋根の雨樋から雨水が小さな滝をつくっている。保育園から戻ってきた娘二人はその滝に手を伸ばし、さらには頭を出してびしょ濡れになって「冷たかった〜」と嘆きつつ、でも笑いながら家に入る。

ドラえもんを見せながら、ぼくは夕食の準備。今日のメインは豚ぺい焼き。大阪のときに美味しさを知った。

息子はためた公文の宿題の追い込み。今日はやらなきゃいけないのに、友人は家に連れ込む。だから夜遅くなる。

熊がいよいよ通学路近くで目撃されたようだ。

冬に備えて、ペレットストーブを買いに行かなくちゃ。