2回こぼす

息子が夕食時に2回、こぼした。1回目は彼の風呂上がりのとき。ビールを冷蔵庫からとってとぼくがお願いしたら、上半身はまだ裸で、シャツを左手にもっていたために、ビールを片手で持つことになり落下、下の段にあった味付け卵をつくるための出し汁の入ったタッパーがすべてこぼれた。えっさほいさと母と長女が拭き取るのを手伝う。2回目はさて落ち着いて夕食を食べようとしたとき、麦茶の入ったマグカップに水滴がついていて、滑ってテーブルの上で見事にこぼれた。やはり妻と長女が手伝う。長女は何も言わずに自然とさっと手が動いて拭こうとする。実に頼りになり、甲斐甲斐しい。

さすがに2回は息子も堪えた模様。

「手伝ってもらって助かったやろ」

「うん」

妻がもし長女がこぼしていたら手伝ったかを聞くと「してないね」と素直である。

「これからは、してあげな」と妻。

 

そういえば、5年生のとき、給食の配膳のカートも廊下で思いっきりひっくり返して、上級生に手伝ってもらったそうな。父譲りの雑さとおっちょこちょいさである。こればっかりは持って生まれたものだ。

「これからも、気をつけなきゃいけないけど、こぼすことも多いだろう。父ちゃんもそうだから。いちいち落ち込んでいたらきりないわ。」とアドバイス。受け入れるしかない。

長女を寝かしつけるときに背中をマッサージしながら、「手伝ってくれてありがとうね」と褒める。

「学校でもやってるから。」との返事。

「でもね、学校だと誰かこぼしたとき、みんなが寄って満員になるから、手伝えないんだ。」

「みんな優しいんだね。」

「うん」

1年生のとき、隣の友だちが給食時に牛乳をこぼして一緒に拭いたことがあったそうだ。そして次の日、長女が牛乳をこぼして、また一緒に拭いたそうだ。面白くて笑いあったと話をしてくれる。そして背中のツボの指圧を続けていると、やがて寝付いた。

質問攻め

お風呂で次女。お風呂の壁に垂れている水滴をみながら「花火が昇ってくところみたいだね。爆発しないけど」と連想している。今年のなつは花火をみれなかった。

 

「ねぇ、身体の中でリーダーって、何?」

心臓、脳、肺、血の大切さを話す。それ以外はなくても生きてる人はいる。

「脳がないと、言葉しゃべれないの?」

「そうだよ」

「口じゃなくて?口がないとしゃべれないでしょ」

「そうだけど」

 

「のどちんこ、なくても生きれる?」

「生きられるよ。お正月にきたパパの友だち、いたでしょ」

少し思い出す顔をする。

「あのリンゴの描き方教えてくれた人?」

「そうそう、あのひと、のどちんこない。」

「へぇーー」

目が大きく開いている。

「また会いたいな。」

「なんで?のどちんこないのみたいの?」

首を振る。

「またリンゴの描き方教えてほしいから。」

 

「赤ちゃん産むのって、たいへんなんだね。男の子、いいなぁ」

コウノドリのドラマをまた見始めた。興味深々なんだろう。

「赤ちゃん産むの、痛そう。でもお腹の中で死んじゃう赤ちゃんもいるんでしょ。」

「そうだよ」

息子と長女の間に一人流産したことを覚えていて、その話につながる。

「お腹の中で、天国に帰っちゃったんだね」

不思議と「帰る」という表現を、した。ドラマにあるのだろうか。

「ほんとうは6人家族だったんだね。」

 

風呂上り。

「ねぇ、こんな顔だったらどうする?」

「指を目尻にあてて、横から目をぎゅっと内側にすぼめている」

「手が使えなくてかわいそう」

「そうじゃない。手をとってもこんな顔。」

「いいよ、愛するよ。顔は選べないから。」

「顔を選べる人、いるかな」

「いないよ」

息子が通りかかって「そんなことできたら、生まれてくる楽しみ一つへるやん」とつっこんでいる。そうなのか。

今日、下校時の旗当番でたった妻が、あまり知らない小さな小学生に話かけられて「長女と同じだね」と言われたらしい。それほど似てるのかと笑っていた。

 

「生まれたとき、どんな大きさだった?」

「このくらい」手でサイズを作って示す。

「へぇー。とうもろこしくらいだね」

息子と笑うと息子はトトロのメイを連想したらしく、メイのとうもろこしのくだりを再現していた。

 

就任

息子が放送委員長になったらしい。なりたいといってたからよかった。「一番前の席からのながめっていいね」といっていた。

祝福ムードだったんだけど「やりたいことなに?」「ない」「新しいことやったら?」「やることわからんし、決まったことばかりや」と消極的なことを連発するので「そんなの名ばかりの長やんけ、ちゃんと考えろ」とついお説教モードになってしまい、険悪な雰囲気になる。嬉々として話してくれていたが、ふてくされた暗い口調になる。「運動会はやることあるだろ?」「知らん」

 

「まぁ委員のみんなが楽しめたらいいね」と少しでもポジティブなことをいうようにするがもう心ここにあらず、父ちゃん早く寝ろというかんじだったので、逃げるように先に寝床にいく。こうやって学校での出来事を話してくれなくなるのだろうと寝床で反省する。

秋の音

はなれの引き戸を開いて、外を取り込みながら寝る。スズムシ、キリギリスなど、たくさんの、いろいろな虫の音が聴こえる。秋だ。この音をうるさいと思わず、心地よいと感じるのだから不思議だ。

布団に横になり、網戸の向こうに庭があって、その先には道路がある。この構図は祖父の家の寝室と同じだ。よく添い寝をさせてもらった。祖父がよく昔話をしたり、やってきた法話の話の一部をしてくれたものだ。あの安らぐ時間は当時のぼくにとって救いであった。虫の音に加えて、ラジオも流れていた。落語が多かった記憶がある。

宇宙と扇風機と電気

「ねえ、なんで宇宙で息できないの?」(次女)

次女と二人、メルを連れてお散歩の公園で。

「空気がないんだって」

「なんで?」

「・・・・」

 

和室で。扇風機を回そうとしたとき。

「なんで、扇風機って、頭と足しかないの?」

首振り機能のボタンを押しなと進めたあと。周り始めたあと、「首ってそういうことね」と納得していた。

 

レンジの前で。ランチの食パンにトーストを焼いたあと。

「ねえ、なんでここに『23』って出てるの?」

「23じゃなくて、2.3。2.3円、いまのトースト焼くのに電気使いましたよってこと」

ぽかんとしているので、電気をつくる会社があって、みんな使った分だけ買っていることの説明。「そうだったんだ」と驚いている。

「じゃ、電気作ってる人儲かるね。あの家もこの家も電気つかってるんでしょ。」

「いっぱいつくって、いっぱい売ってるね。つくるのもいっぱい金かかるんだよ。」

なんで電気つけっぱなしと怒られるか、納得できたもよう。

耳のつくり

ここ数日、気が休まらない日々が続いて家でも難しい顔でパソコンを眺めていることが多かった。残念ながら娘たちから話しかけれても聴こえず「なに?」と聞き返すことも珍しくなかった。

夕食後、疲れ果てたので息子に和室で背中を踏んでもらっていると、次女も踏むと来てくれた。7回ポキっと息子によって鳴らされている横で足の裏を踏んでくれたりしている。息子が終わったあと、次女も背中を踏んでくれた。昨日の包丁の話の応用で、つま先で背中を踏むとなんで気持ちいいかも説明する。

そのうち、気配で長女が忍び足でまたこちらに近づいてきたのがわかった。長女からすればこっそり近づいてきていたつもりだが、ぼくが「来てくれたんだね」というと「なんで分かったの?」と驚く。

「音が聴こえたよ」

「パパって、仕事とかしているときは声聴こえないのに、こういうときの音って聞こえるの?」と不思議がっていた。

もう一回

「なんで『もう一回』って、いいたくなるの?」(次女)

「『プラネタリウム』流して」と大塚愛をリクエストされたので、その流れで『サクランボ』もかける。この曲は知っておかなければならないと力説。みんな「もう一回」をいうために聴いている。「もう一回」がなかったらこの曲はヒットしてないといっても過言ではない。

長女は素直に「もう一回」を待って、タイミングを覚え、いっしょに歌っているが、次女は冷静に上の質問。プラネタリウムは好きだけどサクランボはそうでもないのか。

「また歌ってほしいからじゃない?」

「なんで?みんな、ききたいの?」

ずっと不可解だという表情で聞いてくる。めげずに大塚愛は歌い続けている。長女から「もう一回」をまた聴きたいから「もう一回して」とリピートを要請される。姉妹の温度差。

 

次女が寝る前に「月が明るいよ」と窓の外をみて教えてくれる。「月って、自分で光ってないんだよ」と昨日教えた。今日次女が長女に教えていたらしい。「プラネタリウム」という題名も好きなのだろう。