読書めも〜『人間の愚かさについて』

<人間の愚かさについて/曽野綾子/2015/新潮新庫>


・死者のことを小説の題として「愛された人」と表現したのは、確かイヴァン・ウォーだったと思う。(中略)家族の遺体の出ない人は、行方不明になってはいても、どこかで生きているのではないかと考えるものだろう。少なくとも、小説家だから私はそう考える。
 あの人は、必ずどこかで生きている。名乗って出ないのは記憶を喪失したからだ。自分の名前も言えず、住んでいた場所もわからなくなったから、新しい名前と推定年齢を与えられて、どこかで暮らしているに違いない、と期待する。
 そして私は、必ず何十年か経ったあとで、思わぬ場所で、その死んだはずの家族と会うのだ。ある日偶然どこか地方の駅とか、都会の全く見知らぬ小さな公園の池のそばとかで・・・。私が駆け寄ると、その人は当惑したように私を見ている。「失礼ですが、どなただったでしょうか」とも言えずに、ただひたすら当惑して・・・。
 それでもいいのだ、生きていてくれてよかった、と私なら思う。彼が全く過去を忘れて新しい人生を受け入れているなら、それを壊さずにそのまま継続させてもいいとさえ思う。しかしそれでも生きていてほしいのだ。
 家族にとって、行方不明者の存在はそれほどに大きい。しかしその人の遺体が出てくるまで、大がかりな捜索をするのは、私は耐えられない。

・私はスポーツの世界で日本一、世界一になる、ということの意味が実はほとんどわからないのである。もちろん文学の世界でも、この点は同様だ。この作品が世界一の文学だという概念をもし誰かが決めたら、私はその作品を当分は敬遠して読まない気がする。
(中略)
 誰かが認めた一番でないとほとんど意味がないという価値観は、人文科学の世界ではめったに見られない現象である。それは数の世界で、質の世界ではないからだ。私の生きて来たのは、質の、しかも上質悪質などという分け方でさえないただ限りなく質の違いだけが問題でありかつ必要なのだという世界だったから、オリンピックの美学にはついていけなかったのである。
(中略)
書くという作業は、私にとっては基本的に肉体労働であり、身体が動かなくなれば、精神の気力も衰えることは眼にみえている、と私は感じていたのである。
 だから私は町の「へたくそなスポーツ愛好家」が「するスポーツ」は好きなのだ。とにかく何歳になっても体を動かし続けて、人間を保とうとする努力はけなげなのである。しかしオリンピック選手がどれだけ厳しい訓練をして来たかということになると、あまり感動しない。同じような厳しさは、作家の生活にもある。どんな職種にもあろう。
(中略)
最近の人はよく「元気をもらった」などと言うが、こんな奇妙な日本語の表現も昔はなかった。元気はチョコレートと違ってもらうものではなく、仕方なく自分でかき立てるものなのである。

・おそらく三十数年後の日本は、かつて考えられなかったほどの深刻な老人問題を抱えた時代に突入する。「お年寄りも安心して暮らせるようにしなければなりませんね」などという体裁のいい言葉は、現代でこそまあ通用しているが、その頃にはもはや聞かれなくなるだろう。どうしたら、老人を「始末できるか」が問題になる時代なのだ。
 しかしそのような時にこそ、かつて見られなかったほどの強固な、自己犠牲を伴う優しさも生まれるものなのだ。

・私たちは、完全に他社の立場からオリンピックを眺め、感動していればいい。しかし体を犠牲にしているのは他ならぬ当の選手たちなので、観客がそのことを全く気にも留めないでいていいということに、私は内心不安を覚えている。
 途中で選手生活を諦めた人の方が、却って健康な中年以後の暮らしを約束されているのではないだろうか。もしも私は選手の母親なら、息子か娘が途中で挫折して選手生活を止めてくれた時に、初めて安心するのではないだろうか、とさえ思う。
 
・マスコミは無責任そのものだ。すぐ「王子だ」「プリンスだ」「レジェンドだ」と持ち上げる。王子もプリンスも、数年のうちには年を取って王子やプリンスではなくなるのだ。そもそも永遠に続く王子やプリンスの魅力などというものはない。持ち上げられたら落とされるのが力学なのだが、私たちの平凡な暮らしでは、これほど激しい毀誉褒貶の波にさらされることなく、穏やかに生き続けられる。
 たぶん文章能力のない記者ほど、すぐこうした愛称だか、尊称だかを見るけると嬉しがって盛んに使うのだろう。

・どの選手も、失敗してもメダルを取っても、応援を感謝していた。(中略)もう少しほかのことをファンに伝えてもいいのではないか。そしてまた観客の方も、自分たちの応援によってその選手が勝ったのだなどと、どんな子供でも信じないようにきちんと現実を教育されるべきだろう。
 最近とみに目立つようになった応援という情熱は、根拠のない非教育的なものである。もっとも昔からこういう気風はあったのだし、それが別に悪いものとはされてはいないのだが、観客の大人まで「うちの町の誇りですよ」などと言う。年寄りがそう言って喜んでいるのはまだいいが、若者たちがそういう判断で大人になると、厳しい現実が見えなくなる人間になるだろう。
 学校の同窓、同県出身、同じスポーツ団体に所属していた選手が勝ったということと、自分の存在はほとんど何の関係もないことを、子供にもはっきりとわからせる癖をつけないのは、教育的でない。もちろん同一の県民性の中に、ねばり強かったり、雪をよく知っていたりする特性が濃いことはよくあり、或るスポーツ・クラブでは、他の同種の組織が教えてくれないようなすばらしい技術を伝授してくれることもあるだろうから、自分もそこの出身でよかった、という実感は持って当然だ。
 しかし、メダルを取る選手が出たからと言って「自分が勝った気になる」理由もなく「県の誇りです」ということもない。東京には約一千三百万人が住んでいて、たぶんあらゆる世界的頭脳や才能と同時に、けたはずれの犯罪者もいるはずだが、誰もそのようなことを、「東京の誇り」とも「首都の恥」と感じない。
 こういう意味での、少しでもなにかのつながりのある人が有名になると嬉しがる気風は、そのこと自体は悪くなさそうだが、ただでさえ弱い日本人の、個の気性の確立をますます弱いものにする恐れがある。

・人は全員が自分の生きる小さな場を持ち、誰も他者を本当には理解できない。その虞や深い絶望を前にして、時には、持ち前の鈍感さを救いにして立ち止まることこそ、平凡な人間の生き方であり、それが哀しい礼儀なのではないかとさえ思えるようになっている。

・人の住む場所は、家の内外共に平らであることが、平凡だがもっとも望ましい、という基本条件であった。

・一つの部屋に二面以上の開口部を設けたのである。一方だけの窓では風は抜けない。風通しが悪いのは、暗いとか黴が生えやすいとかいうことだけではなく、精神にも影響すると母はよく言っていた。明るさも必要だが、何よりも外と通じている感覚が大切だ、というのである。生活と社会が繋がっているか、違った人の意見と終始触れているか、解釈はどちらでもいいのだが、暗い空気の淀んだ空間にうずくまって、自分の考えと姿勢に凝り固まることを恐れたのだろう。(中略)
 結果的に私は南と西に窓が空いている部屋を私の居場所にした。私は冬の日差しの短い季節に寂しく感じることが多かったので、西日が一分でも長く当たる場所を動物的に選んだのだ。

・私もできれば仕事を楽に済ませたい。従来のやり方を踏襲して、さっさと目的を果たしたい。その方が、第一経済的でもあるのだ。世間はおそらく、それを順調というのだろう。
 しかし人間も、それだけではいけないのだろう。難関がない人生では、味のある人も育たないとよく言われる。人間はあらゆることから学ぶ。願わしいことから学ぶのは当然だが、実は願わしくないことから何かを発見することの方が多い。

・いきなり、平和に到達するのではない。苦い闘争が現世には終始ついて廻るのだから、それ故に平和に輝きながら、我々の目標になるのだと思えば、すべてのことは、その存在の意味が見えて来るものだろう。

・子どもの貧困が許せないことだという原則は確かにそうなのだが、人間が大成するには日陰の部分も要る。失意の時期も必要だ。運命にも冬と夏が要るのである。それを今の教育者、ことに教育行政に携わる人は、わかっているのか。わかっていてもそうは言えないのだろうが、幸福と安定追求にだけ熱心である。

・毎日水を欲しがるシクラメンの特徴は、植物の中でも数少ないもののような気がする。植物は、十分乾いた時に、たっぷり水を与えるのが原則だ。欲しがらないうちにおもちゃを買ってやるバカ親と同じで、水を与えすぎると、植物は根腐れする。つまり下痢である。

・背徳を描くのも、文学者の役目だ。小説まで道徳的であれ、と言われる理由はない。

・私は覆面でものを言う人とは無関係でいるくらいの自由はあるだろう。

・皆が情熱をこめて要求した、作家の「謝罪」とは一体どういうものなのだろう。作家は古来、いい人であるとか、学問的に正しいとか、徳の高い人であるとかいう保証はどこにもなかった。今もない、と私は思っている。