ファンタジーと現実世界

それはゴム製の卵で、水につけておくと数日したら割れてきて、恐竜が生まれてくるというおもちゃを買ってもらった次女。ボールに水を浸して卵を入れてシゲシゲながめる。よくできていて、少しずつ卵は割れて、最初は頭の先端が除いて1日くらいかけて全身が出て来る。この焦らされる感じも子どもには嬉しい。

赤い4本脚の手のひらサイズの恐竜が全部出てきたとき、はじめは怖いといって触ることができなかったが、長女やら息子と一緒に風呂に持っていっておいた。

お風呂に入ったとき、3人が取り合いになって遊んでいる。浴槽に入れると沈む。恐竜は水の中を生きれるのか、など長女と息子がやりとり。3人で自分が抱っこしたいと取りあっている。恐竜は赤ちゃん扱いされ、優しく話しかけている。9歳の息子も「なんまだ興味を示す。この頃の子どもたちはぬいぐるみやらと自然と心を通わせる。オモチャ、つまりはモノ扱いをしない。

娘二人と風呂に入っているときに、パパの身体も歩くよといって身体の上をチョンチョンと歩かせてくるから、

「痛っ!いま、噛まれた」

というと二人ともビックリした顔をした後に、ゲラゲラ笑う。何度か繰り返して、「うそでしょ」と長女がいっても「いや、噛まれた。パパ、この恐竜怖いな」と怯えたら、「人形だもの、噛むわけないやん」とまともに応えてくる。

不思議なものだ。人形に話しかけて心を通わせているけど、ちゃんと人形には命がないモノだとも認識しているんだな。つまり、ファンタジーであっても、疑似でしかないとわかっている。それをパパの方から現実と混同しようとすると、ちゃんと世界を分けようとする。

面白いのでしばらく「噛まれた」というのを続けていると、長女が「赤ちゃん恐竜は優しいから、パパを噛まないよ。ね~」という。今度は「人形だから」ではなく、その「人形のキャラの設定上」の理由に変わる。自分の中で物語をつくっている。先にお風呂にたくさんいるヒヨコたちと「恐竜って仲良くできるの?」と聞くと「できるよ、ね〜」といって仲良くお話させている。

遊ばせすぎたのか、左の前足がちぎれてきている。長女が心配そうにしているので「絆創膏はってあげたら?」というと息子が「人形に絆創膏はるなんて、あるの?」とこっちはモノ扱いの横ヤリ。ファンタジーの世界には大人が入ろうとすると、なぜか子どもたちは現実世界に戻る。

「名前をつけたら?」と提案すると、次女は「パトモちゃんにする」と由来が謎の命名を行う。長女も息子も覚えにくくてなかなか定着しない。次の日になったらみんななかなか思い出せない。次女も忘れているようなので、息子は「覚えにくいから、竜太にしない?」と改名しようというけど、パパは覚えているので「パトモちゃんでしょ」といってあげると復活する。揉めたら、「パトモは名字、竜太が名前」という扱いでいいと思っている。