花火と流れ星

東京から友だち家族がくる。我が家に二泊。記念すべき新居はじめてのご宿泊客でもある。去年もキャンプしてるし、子どもどおしも仲良し。

駅に迎えにいって、回転寿司いって、食材買いにスーパーいって、家でプールして、庭で虫探して、ゴーヤチャンプル食べて、いざペルセウス座流星群見に行く。星空センターは満車、渋滞。屋台出てたり、野外で映画上映してたり、家族連れちびっこたくさん。

ぼくらもゴザ引いて横になる。みんながなんとなくみてる方を向く。どうもカシオペア座とその周辺がコアらしい。でも天空全体で出る可能性があるそう。気は抜けん。今度はこっちか、あっちか。キョロキョロする。半月がまだ明るいけど、目をこらしていくと、夜空にたくさんの星が浮かび上がってくる。

 

おぉー!っと歓声があがる。

流れたようだ。ぼくは見逃した。みれた、みれなかったーと報告しあってる。

東京家族も早めに見ることができたようだ。よかった。妻も長男と大きいのを見れたと興奮している。長女は寝た。次女はまたじっと星をみることができない。

まだ1つもみれていないのがぼくだけになる。こっちをぐっとみてると、あっちで流れ、あっちをみると、こっちで今度は流れて見逃す。ドリフのコントでこんなのあったな。相変わらずどんくさいなぁ、わたし。

 

既に一個みたら心に余裕ができるようで、みんなはテンション高く、やたらおしゃべりになっている。さっきのは長かったねえ。三億円といえたとかいえなかった、前見たのいつだっけなど。こちらは余裕ないので会話にまざらず目を凝らす。もっと大きなレンズの眼鏡でくるべきだったか。なぜ小さな縁なし眼鏡なんだここで。せめてレンズ、拭こうごしごし。本当は月が沈む未明のほうがベストらしい。でもそれまで待ってられない。

途中、夜間飛行機やら虫やらで見た見た詐欺が発生するも、がまんしてじっと星をみてると、

 

来た!

カシオペア座付近から赤くシューっと、ほうき星。あっけない。でも、確実に動いてた、あの星。そして消えた。

おもわず、声が出る。周囲からも歓声あがる。テンションが一気にあがって、はしゃぐ。

さぁ聞いて聞いてどんな流れ星だったかさっきみたち。でも、みんなは既にわりとわたし待ちだったようで、そのノリ、さっきひととおりうちらもう済ませたから、な雰囲気。優しいからみんなそういわないけど。「んじゃ、行こっか」と誘われて撤収準備。みんなそりゃもう眠いわな。車まで長女を抱っこしてる途中、彼女の靴、しかもママから受け継いだお気に入りのやつが片方ないことにきづく。友人と長男で探しに行ってくれて、みつけてきてくれる。流れ星見つけるの早い人たちは落とし物みつけるのも早い。

 

翌日は海にドライブ。子どもたちとぼくは水着に着替え、海に飛び込む。水泳をならっていてそこそこ危なげない長男にまったく泳げない長女も浮き輪でついていきたいといって、沖の方にどんどん行こうとする。手を繋ぎながら一緒に進む。やがて長男もつかまってくる。足元の水は澄み、黒い魚がチラホラ泳いでいるのが見える。浮き輪は穴があいているらしい。空気がなくなってくる。強い日照りだから水も温かい。砂浜ではママたちがぐでってなってる。パラソルやっぱ今度買おう。早めに浜に戻る。

 

昼も過ぎてお腹すく。ラーメンが食べたいというので、地元のソウルフードのラーメン屋につれていく。隣の道の駅で友人がスイカを一個かってくれる。

そのあとまたドライブして海を見張らす高台にある温泉にちゃぽん。長男は水風呂に喜んでつかっている。風呂上がり唇紫色だけどアイス食べたいという。広間の畳でくつろぐ。高校野球をやってる。近くに新しくワイナリーができている。レストランからみる夕陽、きれいだろうな。

 

今夜はこのままこの近くである花火イベントをみる。新聞社主催とかでもないから、たぶん混んでなくて穴場と踏んできた。そのわりに一万発だからよかろ。時間があるので、花火の打ち上げポイントをきいて、近くに車を停められるところを探ってゲット。すぐとなり芝生。椅子と敷物をだして準備完了。蚊がいるようで、みんなで虫よけ。

近くの公園で、花火に先立ち7メートルくらいありそうな、大きな松明が3本、離れて柱のように立てられ、点火される。神様を呼ぶための儀式らしい。大きな炎が3つ、龍のように燃え盛り、燃えた松はぐわっと地面に落ちてくる。熱い。動物的な刺激を身体が受けたのか、メラメラと力が沸いてくるかんじがして、自然と気持ちが昂ってくる。火ってすごい。子どもたちもじーっとみてる。

 

いよいよ花火がはじまる。作戦通りベスポジだったねこりゃ。海から打ち上げているのが見える。目の前に大きくうち上がり、圧倒されて口があく。しかも、花火の間に昨夜と同様に流れ星を探すと、妻と長男がでっかいのをみたらしく、興奮している。自然による演出はスケールがでかい。大きな流れ星と花火を同じ夜空で一緒にみれるなんて、なんて贅沢な夜なんでしょ。

打ち上げ花火でぼくがいちばん好きなのは、しだれ花火というか、柳花火というか、はじけて個々の火がたらーっと垂れていくやつ。なんなら、あれだけでもいい。ハートのかたがったやつなんていらん。あれだけを打ち上げる花火大会あればぜひ行きたい。要は、散ったあとも跡が残って目に見える、その余韻が好き。流れ星も、ほうきの枝の部分がないと物足りないように。

 

そして、ここの花火は奇遇にもそれが名物らしく、最後は黄金のしだれ花火がもうこれでもかというくらい連発、夜空に黄金の大小の円弧が一気に放射状にたくさん広がったかとおもうと、一粒一粒の火の玉が幾重にも重なりながら雨のように降りそそぎ、最後はパラパラと音をたてて乾いた闇に手を引かれ、吸い込まれるかのように散る。みているものは球状の光の軌跡の重なりのはずだけど、すごく平面的に見えるから不思議。

 

光は波だ、と高校の物理で習ったけど、大学で同時に粒子でもある、とわけわからん説明をされた気がする。今日海で感じたジリジリとした太陽光は、波ってかんじがする。一方、この花火や流れ星は、粒としてみてるのだろうな。だから2Dに見えちゃう。

そいえば、なんかの本に、人間の眼が星の光を捉えることは、光を波として説明しようとすると、到底無理なんだ、と書いてあった。波だと、ものすごい遠くの星から放たれた光のエネルギーが、網膜が知覚するくらいに減衰することなく眼に届くのは考えられないから。でも、星はみえる。それはなんでかっていうと、光を波ではなく、粒として網膜が認識してるからだ、なんだとか。人類が生きてく上で星の光を頼りにするなかで、眼もそう進化したとか。ふむふむ、あれってこういうことだったのね。そしたら欲張りなぼくは、今度は花火を波としても味わいたくもなってくる。上からみるか、横からみるか、波とみるか、粒とみるか。

 

一番歌ってほしい曲でライヴが終幕したかのような悦に入りながら、大満足で帰路につく。友達が帰りは運転してやる、と代わってくれる。まだまだ穴場、渋滞なくスムーズに車が流れる。長男は興奮冷めやらぬのか、寝ずに映画を一本みきって我が家到着。

 

月はもう沈んでいる。今夜もいろんな虫がたくさん鳴いている。乾いた夜風が心地よい。寝室に蚊取り線香をたく。夏の夜の匂い。

 

東京からわざわざ来てくれているのだから、都会では体験が困難なもの、でありながら子どもが喜ぶメニューをラインナップしてあげたかった。結果、流れ星と海と温泉と花火という、なんの変哲もないものになったけど、満足してくれたようでうれしい。

最近家で週末過ごしがちなぼくたち家族もすこぶる満喫。しかも、安あがりで家計にも優しい。海の駐車場と温泉以外タダだもんなぁ。しかも、空いてて不快なほどは混んでない。じゅうぶん楽しいし、豊かだなって思える。

 

この日本の田舎の昔ながらの夏がとても愛しい。なくなってほしくない。この空気をいっぱい吸って、子どもたちの記憶に宿ってくれたらいいな。そしておじいちゃんになったとき、親になったこの子どもたちに、また連れてってもらいたい。

夏のイベントがまた一つおわった。立秋を過ぎ、日に日に日が短くなっている。