起き方

我が家で体内時計が一番ちゃんとしているのは長女で、21時には眠たくなり、6時半には自然と目覚めている。一番早起きなので、ひとりの時間がある。我慢できなくなると、寝坊している妻やぼくを起こす。

こないだの週末の朝は珍しく次女と妻とぼくが先に起きた。そしたら寝床で起きた長女から声が聞こえる。ロフトのようになっている寝床から、まだ彼女は降りられないから「降ろしに来い」というリクエスト。繰り返されている声、何といっているか聞き取れないので耳をそばたてると「コケコッコー」といっていた。

めでたい

保育園でかるた大会があったらしい。長女も次女もそれぞれクラスで一番とったそうで、クビに手作りの折り紙でつくられた金メダルを引っさげて帰ってきた。びっくり。正月、長女は百人一首を長男としてたから何となくわかるけど、次女までとは意外だった。二人とも達成感があるらしく、嬉々と話すので何度も「おめでとう」といってあげる。自分よりも、子どもたちが成し遂げてくれるほうがうれしいのものなのだね。

冬将軍

昨日から雪がとまらない。積雪が1mに届きそうだ。昨日の朝はまだ大したことなかったので、傘も持たず、スニーカーで登校した息子は下校が遅く、近くまで車を走らせたら発見。手袋も靴もびしょびしょ、冷たすぎて痛いらしく、泣きながら歩いていた模様。急いで家に帰って、ストーブの前で温めながら着替えさせて、水泳のバスまで送る。水泳から帰ってきたらすっかり元気になっている。今日からバタフライを習い始めたそうだ。

今朝は息子は妻に送ってもらっていった。妻の車のタイヤはほとんど新雪に埋まりながら、道なき道をモソモソ進んでいく。タイヤの跡をみると積雪50センチほどか。

長女は今日自然体験教室ということで雪山に行くことになっている。サンドイッチを作って、水筒を持たせる。こんな視界も10メートルもないような猛吹雪だけど、決行するのだろうか。不安になるけど、きっとやるのだろう。長女は昨日からとても楽しそうで、「今日やるのかな」と不思議がっても「やるでしょ、雪山いくんだから雪降ってても」と実にポジティブだ。家族の場合だと腰が引けて中止にするような気候けど、先生たちは果敢に連れていってくれる。吹雪に吹き飛ばされそうになるのも新しい経験だ。ありがたい。

娘たちを保育園に送ってから家のガレージと玄関を雪透かしする。

新聞屋と郵便屋さんの深い足跡がある。ポストまで積もる雪をかき分けながら歩かせてしまった。

玄関から道路まで人の幅くらいで雪を除けて道をつくっていると、「すみません」と知らない女性から話かけられる。近くにお住まいの方ではない。

「スコップ、貸してもらえませんか。」

なるほど、女性の背後をみると完全にタイヤが雪の上で停まった車がある。

まだ除雪車が入っていない道に迷いこんで、そこでスタックしたらしい。

「このあたり、いつもこんなに雪、すごいんですか」

「まぁ、そうですね」

女性を車に乗せて、ぼくがそのタイヤの回りの雪を削るようにとる。

だいたい取り除けたので、動かしてみてもらうと、そんな甘くはないようで前輪は二つとも同じところをシュルシュル回転するだけで全く進まない。助走のスペースも必要そうだ。タイヤの前後もスペースでできるようにスコップを入れて雪を出す。

「すみません、家の除雪もあるのに」

「いえいえ」

それにしてもこの平日の昼間、まわりの家はほとんど空だ。たまたまぼくが除雪していたからいいけど、ぼくがいなかったら、彼女はどうなっていたのだろう。

そう思うとこの女性からしたらぼくはいま救世主だ。助けないわけにはいかない。

ひととおり除雪して、再度動かしてもらう。スコップを置いて、ぼくも車を押す。今度は1メートルほど動いた。安心したのもつかの間、その先のまた新しい雪にタイヤがはまり、またシュルシュル地獄に陥ってしまった。4WDでないから、前輪だけが頼りなのだけど、その前輪がすぐにハマる。

ここでゲンナリした表情をしたら彼女にまた気をつかわせてしまうので、淡々とまたタイヤの回りの雪を掻き出す。

脇を除雪車が通ってゆく。あと10分早かったら。

顔をあげたら、車の後方にトラックが止まっている。しまった道を塞いでいたかと気づいて、「先に通ってくれ」と合図する。ぼくがどけばトラックは通れる。しかし、待てどもトラックが来ない。運転席に目をやると、手でタイヤのほうを指して、ムリムリと合図している。

そのときぼくは悟った。この車の次は、あのトラックだと。

女性の車はタイヤの前後の雪をかき分け、押すことを繰り返し、無事に帰還できるようになった。

わざわざ運転席から降りてきてお礼をいわれる。「気おつけて」と見送る。「もう二度とこのエリアには立ち入らまい」と思っているかもしれないな。

そして、トラックの方に目をやる。ここで見捨てて家に戻ることはできない。

待ってましたといわんばかり、運ちゃんが降りてきて、「すみません、スコップ貸してください」。ついさっきも聞いたよ、この台詞。

業者のようなテンションになり、ぼくはスコップとともに後輪の前にスタンバイする。運ちゃんは運転席は乗せる。もう慣れたものだ。後輪の前後の雪を掻き取る。

さすがトラックのタイヤに踏まれた雪はかたくてなかなか崩せない。プラスチックのスコップが壊れそうだ。一度、家に戻って金属のスコップをとってくる。再度挑戦。雪というか堅い氷だ。トラックの後輪タイヤは2個ずつだから、計4個分のスペースをやる必要がある。エッサホイサ。

雪を除けて、運ちゃんがアクセルを踏んでを何度もやる。面白いくらいにタイヤは動かない。諦めずに10分くらい奮闘していると、ようやく動いてくれた。ニコニコの笑顔の運ちゃんをみるとこちらも嬉しくなってくる。JAFの仕事って、やりがいあるのだろうな。

「ここで、チェーンを巻いていきますので」と運ちゃんは後輪の後ろにぶら下がっているチェーンを外す。まさかこんな住宅地でチェーンが必要になるとは思わなかったのだろう。ぼくは「また何かあれば」といいながら家に戻る。「お名前は?」ときたら「名乗るほどのものではない」と答えるつもりだったが、訊かれなかった。

家に戻り、洗濯物を畳んでいても、どこか近くでまただれかスタックしているのではないかと気が気でなくなる。

これまで、友人知人に住んでいるところをいうとよく「雪、大変でしょ」と二言目に返ってきていた。今日の二人が食らっている洗礼をみて、その意味がなんとなくわかった気がした。

家にいても、ぼくだけが家のときは節約のためにつけないようにしている。いつになくアイロンが温かい。Yシャツ3枚のアイロンがおわると、また寒くなった。ダウンコートを着る。外は見渡す限り真っ白。おかげで室内はいろんな反射光のおかげで実に明るい。

朝空かしたところにまた雪が同じくらい積もっている。どこまで降るのかしら。週末は今年3回目のカマクラづくりをするのだろう。

この年末年始

年末年始はずっと我が家で過ごした。家ができて2年目、去年は妻の実家だったから、はじめて我が家で年越し。というか、里帰りをずっとし続けてきたわけだから、結婚して12年目で初めて。

年末の3日間もさしたる外出はせず、温泉に行ったくらいで、いつになく年賀状も早く投函し、その後妻と子どもたちとずっと掃除をし続けた。気になるところはほぼやりきった。すこぶる気持ちがよい。高窓にはしごをかけて窓枠もきれいにできた。風呂のブラインドも1枚1枚きれいにした。玄関まわりのガラスも吹いた。表札もピカピカにした。スダレが風で傷つけた玄関の木枠も塗り直した。もういらないだろうという一人暮らしのときから使っていた棚も解体して階段裏も少しスッキリした。さらに大晦日に妻が長女と次女を連れて妻の実家にいっている2時間ほどの間にいまがチャンスを髪にバリカンを入れた。

この家はぼくにとって終の住処になるだろうという覚悟ができて以来、掃除にも身が入るようになった。家もずっと元気で清々しくあってほしい。設計してくれた建築家や建ててくれた棟梁も年の瀬に来てくれた。家を点検しつつ、大きな窓からの景色を眺めながら「いい仕事した」と満足げだったのでこちらも嬉しくなった。

こうしてスッキリした我が家で迎えた大晦日。ここまでやると、「さぁいつでもこい新年」という気持ちになるもんだ。

大晦日は家で映画を見たあと、体内時計がしっかりしている長女は年越しそばを食べるまえに22時頃に限界がきて先に寝た。食い意地の強い次女はしっかり年越しそばも「全部食べれる」といって完食。それまでけっこういろいろ食べてたのにな。彼女吐くまで食べる勢いだ。食欲が満たされた後は眠たくなって23時ころにおやすみ。

長男は意地でも年を越したかったようで0時をまわるまでぼくら夫婦の間で本を読みつつ目をこすりながら時間を過ごす。ぼくら夫婦はワインを飲みながらグダグダしている。

どこにも行かず綺麗な我が家で年を越すというのが、ぜんぜん退屈でなく、こんなに気が楽で、落ち着くなんてはじめて知った。これに気づくまでいままで随分回り道をしたもんだ。

年が明けても過ごし方は実に地味だった。長男の宿題の書き初めをしたり、お雑煮食べたり、すき焼きをしたり。外出といえば妻の実家に行って、一緒にカラオケいったり、ぼくの叔母さんの家にいって従姉妹と遊んだり。アウトレットに行って靴を買ったり、本を買ってあげたり珍しく大盤振る舞いをしたり。あっという間に過ぎて、初詣と墓参りは行きそびれてしまった。

普段から子どもたちとは十分遊んでいるけど、それでもなお一緒にいて楽しい。いまのぼくにとって、これ以上の幸せな時間をぼくは知らない。

ダイジェストでいくとこんなかんじ。

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【長男】

ズッコケ三人組ドラゴンボールを適宜はしごしながら、『罪と罰』を読破してドフトエフスキーに興味を持つ。

ドラゴンボールのUNOをだれかしら捕まえてやろうとする。

・大掃除ではグリーンネットにからみついた朝顔の蔦をとったり、虫かごの片付けをしたり自分の勉強机をすっきりさせたり。

【長女】

・将棋とオセロを覚える。

・「次何をすればいい?」大掃除でママの手伝いを甲斐甲斐しくやる。ガラス拭きなど。

・「明日はカラオケにいくからね、わかった?覚えといて」といって寝た翌日、約束どおりいけたカラオケで『小さな頃から』を必死で歌おうとして祖母祖父から感心される。

・「温泉に行きたい」といって温泉に向かう車中で寝るから家族で引き返す。翌日くやしかったらしく朝一番で「今日温泉にいくからね、わかった?」といいながらみんなを起こす。

・家でいつも一番に起きる。

【次女】

・お餅、バナナ、すき焼きの肉、チーズナンなどなど目の前にあるものはすぐ「食べたい」と手を伸ばす。

とんがりコーンをぼくの口に入れてきて「おいしいから食べてみな」ができるようになる。

・黄色い台座を使えば、洗面所の歯ブラシに手がとどくようになり、一人でできるようになった。(水道の蛇口だけは届かないので水は止められない)

・何かしてほしいことがあれば「だれか〜◯◯やって」と「だれか」にヘルプを求めるようになる(妻の真似か)。

【長男と長女】

百人一首で真剣勝負をしている。

・一匹水面に浮かんで苦しそうで弱っているメダカを心配して、エサをすりつぶして食べさせようとする。

【長女と次女】

・カラオケでドラえもんの唄を一生懸命歌う。

・雪が降った庭を走り回る長女と次女。

【長男と次女】

・親に怒られて次女が泣いたら長男が「大丈夫だよ」と真っ先に慰める。

・これまで自己中でわがまままな次女を「社長さん」と呼んでいた。長男が「社長さん」と今日呼ぶと「『社長さん』と呼ばんといて」と次女。社長を辞する。

【三人】

・土間の壁にプロジェクターで投影して観る『ホームアローン』をゲラゲラ笑いながら肩を並べてみる。

・長男がもっていた3つの貯金箱を長女、次女にそれぞれあげて、各自お年玉を入れる。

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とまあこんな調子である。妻が言っていたけど、次女も自分で感情を表現でき、トイレも自分でできるし、3人目も手がかからなくなってきた。妻とぼくがいなくても、「3人だけの社会」が成り立つようになっている。そのキャッキャやっている姿を、できるだけ目に焼き付けておきたい。

それに、小さなうちの子どもたちの「お願い」って実にシンプルだ。「抱っこして」やら、「ねぇパパ見て」とか、「これ読んで」とか「一緒に寝よ」とか「喉乾いた」とか。「ハワイに行きたい」とか「高級バッグを買って」とかではない。その気になればすぐにその願いは簡単に叶えてあげることができるものばかり。しかも親ならでは、のお願いばかりだ。どんなに疲れていても、今のうち、できるだけ応えてあげたいのだ。大きくなってからのお願い、特に金銭面は「ごめんムリっ」ってなっちゃうだろうし。

何の変哲もない日々。ではあるけど、子どもたちの成長をみているのが何よりも刺激的で、フレッシュな目からの世界の見方をぼくが教えてもらっているから、世界が広がっている気がして飽きない。今年も目一杯遊ぼう、いや、遊んでもらおう。この子たちに親にしてもらった以上、悔いを残したくはない。やりきるんだ、父親を。

厳密長女とイヴのオフセット

クリスマスイブの子どもたちはいつになく素直だ。いつもは無視される「もう寝るよ」という言葉も従順に聞き入れて、お風呂もさっさと上がるし、寝床にもすぐに行く。

お風呂をさっさと上がったワケにはもう一つあって、家に一人置いて行かれたケヴィンを心配でこれからどうなるかを知りたかったから。

そう「ホーム・アローン」の続き。

子どもといつかクリスマス・イブにやってみたいと思っていたこと。ついにやってみた。主人公のケヴィンは8歳の設定。息子は9歳。長女は5歳。3歳の次女も言葉はずいぶんわかるようになった。今年がベストだと踏み切った。

息子は案の定面白がって終始楽しんで観ていたが、長女と次女には途中までホラー映画だったようで時折抱きついてくる。でも次第にケヴィンの見事な仕掛けに長女も「この子、頭いい〜」と感心し、最後はゲラゲラ3人で笑っていた。大成功。

そのまま隣の寝床に行って寝かしつけ。実にスムーズで我ながら完璧な流れである。

寝床の明かりを消して暗くなってもホーム・アローンの興奮は覚めやらぬようで、次女も「明日保育園から帰ってきたらまたみようね」と不動だったドラえもんの地位が揺らぐ。さすが名作。

「泥棒来てもパパの背中に隠れればいいしね」といいながらぼくの腹の上に乗る。次女のいつもの定位置。右の腕枕で長女、左の腕枕に長男。超合金ロボの合体のような重厚な態勢。窮屈である。しかし温かい。

 

しばらくしたら寝息に変わる。はずだった。

ところが、である。長女が「サンタさんがくるのって、『クリスマスの夜』やろ。今日はクリスマス・イブ、でしょ。だからなんで明日の朝なの、プレゼント来るの。」と疑問を呈する。「クリスマス、明日なのに。」

親としては早く寝かせることが優先なので、「クリスマスの夜って、クリスマス・イブの夜からいうんだよ」とか、「サンタさんは、クリスマス・イブの夜にくる、ともいえるんだよ」とか懐柔しようとする妻。それで納得するだろうと踏んでいたが、長女は厳密であった。

「サンタさんへの手紙を書いたとき、『来るのクリスマスの夜』って、いっとったやん」。

「クリスマスって、12月25日でしょ、今日は12月24日なんでしょ。『クリスマスの夜』じゃ、ないやん。」

混乱している。泣きそうになっている。

みかねた長男が、「夜の12時に、日付がかわるんだよ。」と合いの手。ぼくも寝ている夜の間に、日にちがかわることを丁寧に説明する。

 

「一日って、朝からはじまるやん」と長女。

彼女からしたら、この夜は、24日、つまりイブの夜でしかないのだ。毎日の行動のサイクルからしたら、朝が一日の始まり。明日の25日は朝から始まる。夜から一日が始まるなんて、聞いたことがない。

さらに混乱の度合いは増してしまったようで、何度も「夜の寝ている間に、25日になってるんだよ。人間がそう決めてるんだ。」と説明しても「わからない」と首を振る。

「じゃあ、明日の夜はクリスマスの夜じゃないの?」

「いや、それも、25日の夜だね」

「どういうことなん、それって。サンタさんは、じゃ、なんで明日の夜にこないの?」

的確である。中途半端にお茶を濁そうとしたら捕まる。

同じ日の夜って二つある。はじまりの夜とおわりの夜。その概念から説明しなくてはいけない。彼女のなかの「一日の始まり」をオフセットしなくてはいけない。腹をくくる。この疑問にちゃんと答えてあげよう。一からちゃんと説明しよう。

しかし、このやりとりを寝床で続けられたら早く寝ようとしていた長男も次女もたまったものではない。気になって寝られない。次女は何かと自分も絡みたいらしく「でもさ、ねぇねぇ、◯◯ちゃん、サンタさんと写真とってんて」とあさっての方向からボールを飛ばしてくるのでこの緊張感のある長女とのやりとりが中断するし。

「もういいじゃん、明日で」という妻の制止を振り切って、寝床から長女を連れ出して、ダイニングに二人で戻る。彼女も「説明、ちゃんと聞きたい?」ときいたら力強く頷いたから。

 

スケッチブックを広げて、地球の図を書く。太陽があって、地球がある。半分が昼で、半分が夜。地球儀ももってくる。

なんで、昼と夜が繰り返されるのか。地球が自転してるから。まずはそこから。

「地球って、回ってるん?」

「そうだよ。1日で、1回。」

「家も、山も、ぜんぶまわっとるん?」

「そうだね」

「じゃぁなんで、目が回らないの?」

地球が回っているなんて、感覚的に信じられない。詐欺師をみるような訝しげな表情でこっちをみてくる。

「それは地球がすごく大きいから。」といっても、まったく伝わらない。そりゃそうだ。遊園地でメリーゴーランドに乗った状態、あれが彼女の「回っている状態」なのだ。あの感覚が微塵もないのに「回ったものに乗っているんだよ、ぼくたちみんな」といわれても実感できるわけがない。

 

そこで、大きな象の絵を描く。その背中に点を描く。

「大きなゾウさんの背中に、ハエが止まっています。そのゾウさんが、ゆっくり回って歩いても、ハエは動いてるって思わないんじゃない?」

これでどうだ。

しばらく考えてから、頷く。これは、なんとなくイメージできたらしい。

「でも、ハエより、パパのほうが大きいやん。」

「そうだね、でもゾウとハエの大きさの関係と、パパと地球の大きさの関係って、ずっとずっとパパと地球の大きさのほうが大きくて・・」

「『カンケイ』って、なに?」

「・・・・」

「まぁ、自分よりずーーっと大きいものの背中に乗っかってたら、その大きいものが動いてもそれに気づかない。それは一緒なんだね。地球はゾウさんの背中みたいなもの」

「ふぅん。」

「んじゃ、人間がカメさんを持つやろ、そして、人間が回ると、カメの目は回る?」

「それは、回るやろね」

「何が違うの?」

「それは、カメの大きさが、人間とわりと近いからね。ずっとずっと、回るものより、小さくないといけない。」

「ふぅん。地球って、大きいん?」

「そうだよ。ずっとずっと大きい」

そうやって少しずつ自分なりに、理解の手がかりを掴んでいこうとしている。カメのごとく遅い。でも、彼女の中の世界の見え方が変わりつつある瞬間だし、そんなもんだろう。投げやりになることなく、ぼくが伝えようとしていることに追いつこうとしている。頼もしくなったもんだ。

 

どこまで伝わったかわからないけど、ひとまず先に進もう。まだまだ先は長い。やっと地球は回る。1日に1周。そう確認して、やっと夜の下りに入る。

地球の図にもどる。半分を黄色、半分を濃い青色で塗りつぶす。そこに一周のリングを描いて、一日のサイクルを何度も何度も彼女の生活リズムにそって説明。朝起きて、保育園いって、遊んで、お昼ごはんたべて、昼寝して、ママが迎えに来て、夕日が沈んで夜になって、ご飯食べて、お風呂入って寝る。

この寝てる間に、夜の12時という時間がきて、そこで日付が変わる。そしたら「はじめの夜」がやってくる。そして、朝が来て、昼になって夕日になって太陽が沈むと、そこから12時まで「おわりの夜」がきて、一日が終わる。夜は同じ1日でも、2回ある。そして、12月25日のサンタさんがプレゼントを持ってきてくれるのは、この「はじめの夜」のところなんだ。

ぐるぐるとリングを何度も描きながらそう説明するとずっと曇っていた表情がだんだん明るくなって、ようやく「わかった」という言葉が聞けた。

時刻は23時になっている。

「もうすぐクリスマスの日の『はじめの夜』になるから、寝よっか。サンタさんがこれなくなっちゃう。」

「うん。」

あくびが出た。さっきまでの厳密モードから、やっといつものあどけない感じに戻った。ダイニングから抱っこで抱えながら、寝床に戻る。モヤモヤが消えスッキリしてくれたのだろう。腕枕をしたらすぐに寝た。いつもは3人の子どものなかで一番早く寝る子にこんな側面があったなんて。

 

ちなみに、長女と寝床から離れるとき、ややこしくなるからしばらく黙らせていた長男が何かいいかけていたことがあったので、一応何を言おうとしていたかをフォローして聞いてみたところ、

「おれもさ、疑問に思っていることあるんやけど、うるう年ってあるやろ、あれ、あの年だけ、2月29日になるやん、でもなんで2月なん?12月32日にすればよくね?」というぶっこみであった。

「その疑問、ごもっともやけど、その答え、父ちゃんしらんわ。」

長女はすっきりしたが、まだぼくには宿題が残る。そんな今年のメリークリスマス。

サンタへの手紙

息子のサンタへの手紙。

蛇腹に折って靴下にいれた。はみ出た部分に「これだよ サンタさん」としたためている。開けば以下の文。

「サンタさんへ

毎年寒い季節の寒い夜にプレゼントを届けてくれてありがとう。温かい紅茶をのんでいってね。

ぼくは、R2-D2のラジコンと

レーザークロスシューティングのW(ダブル)セットが

ほしいです。

二つはダメだったら、レーザークロスシューティングを下さい。

母ちゃんもほしいと言っているからできたら何かあげて。

来年もまた来てね。メリークリスマス!」

まさか冒頭お礼の一言からはじめられるようになるなんて目頭あつくなったが、妻がアドバイスしたらしい。そりゃそうだよな。妻への配慮も書かせたかは妻にはきかず。

ただぼくは妻に正直に「ごめん、用意してない」と告白。「いつでもいいですよ」と返ってくる。「いや、それはそれでいいんだけど、なかったら、『母ちゃんのないな』ってあいつが思うやろやろ」というと「んじゃ、わたし、自分で買ってくるわ」とぼくが子ども3人をお風呂に入れている間に出かけていった。たぶんドラマの中の高橋一生のような男ならちゃんとサプライズで夜に添えるのだろう。

 

今宵は子どもたち3人が寝床に行くまでがいつになくスムーズである。サンタ効果おそるべし。

サンタさん。まっすぐに信じているなら、まっすぐ応えるのみである。

ただ、寝床でほんとに寝つく直前に「サンタさん、お父さんとお母さんってほんとなん?ヤマギシがいうてた」とポロッときいてきたので内心ギョッとする。さっきまで紅茶の場所を妻に指定していたはずなのに。

もう9歳だもんな。揺れるのも無理ない。「誰や、ヤマギシって、しらんぞ」「そうだよね」でまじめにはとりあわず。「信じない家には、来なくて、代わりに親がやっている」。それでいいのだ。

長女はダイヤのネックレス、次女はリカちゃん人形。長女もがんばって自分の字で書いて、別の靴下に入れている。

「来年もまた来てね」。サンタさんだって来年もまたその先も、来たい。

言い方

2階のぼくのそばにいる次女を下から妻が呼んでいる。次女に何か用があるようだ。このとき、次女に「ママが呼んでるよ、行きなさい」といっても「ヤダ」と返ってくる。余裕がないときはそういわれ、イラッときて「行きなさい」と語気を強めて怒りの感情とともに命令することになる。結果、「イヤだ」と泣いて石のように次女は動かない。ますますイライラして、泣きじゃくる次女を無理やり抱えて下に連れていくことになるという関の山。この悪循環が目に見えておる。

そこでだ。ためしにその日は次女「お〜し、ママが困っているから、助けてあげてくれ!」とミッション風にいってみた。そうすると何ということでしょう素直にうんと速やかに下に降りていくではありませんか。戻ってきてミッション完了を褒めてやるとうれしそうだ。なんというwin-winの好循環。よしこの言い方は使える。三歳だって、命令に従わせる受け身よりも、使命を持たせて自発的な行動を促したほうがすんなり動くのだね。人のために動いてあげようという意識があることがわかりうれしい。