10歳

10歳。次女の誕生日。

昨日から一緒に過ごす時間が多くてうれしい。一緒に図書館へ行き、いつものように算数を教える。1問、自分の力だけで解くことができてうれしそう。一昨日、プールに行って少し日焼けしている。炎天下の下にずっといた影響か、途中でめまいがして気持ちわるくなったというので、図書館を切り上げて、何か食べたいというからスーパーでご所望のクリームパンと唐揚げを買う。清涼飲料水も。車内で食べるうちに、少し落ち着いたようだ。ぼくのバスケに行く時間が迫っていて、遅れることを気にかけてくれる。バスケをはさんで、家に戻ると体調は回復していた。妻は飲み会でいない。途中まで妻がつくったカレーにルーを溶かしたり、息子と長女といっしょに仕上げて食べていた。「2つに分けてつくるのたいへんだから、今回は甘口だけでもいい?べちゃべちゃになった。ごめん。だけど味は大丈夫」とLINEがバスケの途中に来ていた。そのとおりのカレーをぼくもいただく。

長女も「トロトロのカレー、どうやったらできるの?」と疑問に思ったらしい。

そこを掬っていくうちに、下にルーの塊がまだ残っていたことが判明。

次女はいま、小説を書いている。感想をいったり、もっと面白くなるにはどうするか、ぼくなりの意見を伝えたら、ところどころ採用しつつ、書き足す。「書いてみたから、読んで」また感想をいう。前回のジュニア部門の賞のグランプリを読んで、何が違うかを伝えて、どうしようかな、といっしょに考えたり。星新一さんのぼくが借りてきた本を読んで、ヒントをみつけたり。

「つくっていると、読むのもすごく楽しく、刺激が多いでしょ。つくっていると、世の中を楽しめるようになんだ。つくると、そういうご褒美がある」

このことをいつか伝えられればと思っていたから嬉しい。

ぼくがメルの掃除のあと、夜の散歩に行くのについてくる。まだ手をつないでくれる。10年元気に生きてくれたことの感謝と、これからも気をつけて元気にいきてほしいこと。とても気をつかう子だから、「自分を一番大事にする」ことを伝える。抱きしめる。そして、大事なことを伝える。たしか香山先生から教えてもらったこと。

ななつ、やっつ、ここのつ、とう。「つ」がとれたら、手を離しなさい、というアドバイス。見守ることを主とする。ぼくは、息子からは離れられなかった、それで息子を苦しめ、惑わせ、迷わせた。かわいそうなことをした。その大きな反省がある。

「これからは、パパは見守ることにするから、自分が思うように進んでいくようにしな。自由に決めたらいい。パパが『こうしなさい』はいわないから。もちろん、迷ったら一緒に考えるよ。」

(まだteenageではないけど、その齢になれば、なおさらそうするべきだったのだ。いうことはすべて逆効果。たまたま昨日読んだ10年以上前のナショジオの記事でもそう書いてあった。もっと早く読んでいればと悔やまれる)

寝床で、小説をこれからどう発展していくかを話す。設定を細かく説明し、分かりやすくすることは、その小説の魅力を高めることにつながるのか。分かりやすく誘導する一筋縄のシナリオ、よくできている、いわゆる優等生の作品と、分かりにくきけど、読み手によって解釈が異なる想像が膨らむ、いわゆるシュールなもの。その2種類があって、みたいな話。読み手によって解釈が異なる方が、面白いのではないか。だいぶあれやこれや、ぼくの想像を超えた思考をした上で、いまの文章も書いていることを知る。もうすっかり作り手の思考回路である。この手の話、ぼくは久しくめっきり大人ともしていない。テンションが上がる。ぼくのように垢にまみれた思考からは思いつかない、ストレートでみずみずしい感性から放たれるコメントに、こちらが勉強になる。子ども扱いする必要はもうない。「先生」と呼びたくなるくらい、対等以上だ。

気がついたら0時近くだった。妻が帰ってきた。9歳のうちに、ママに会いたいといっていたので、間に合ってよかった。妻に抱きしめてもらって、寝た。

「うち、何時に産まれた?」

翌朝。何時に産まれたのかずっと気にしていた。母子手帳をみたら、午後2時19分とと書いてある。

「ママ、いまごろ何していた?」

息子が部活から午後1時過ぎに帰ってきて、妻にいわれて「おめでとう」と声をかける。「まだ産まれてない」という返事。

妻にも小説を読んでもらって、あれやこれや推敲。別の年のグランプリの作品を読んで、また分析したり。次女の世界観を、ぼくなりに解釈して紙に書いて伝える。すべてを説明しなくても、自分の中に骨格となる世界観はあったほうが書きやすいとアドバイス。「自分で決めて、書くべし。あなたの作品だから」と添えつつ。

「パパ、小説書かないの?ここまで、私のにいろいろ言ってくれるから、書いたらいいのに」

夜の妻とマルと一緒になった散歩で。

「あなたが書くものが、よくなる方がうれしいよ」

ぼくはもう裏方でいいのだ。

「10年生きたぞ」

「あとこれが8回か、9回だね」

「はやい!」

「一日一日を大事に生きるんだよ」

一番小さなときの記憶を聞いたら、産まれたときに住んでいたアパート、おぼろげながら覚えているらしい。キッチンの前に、テーブルがあったこととか。

ケーキは彼女が望んだフルーツがたっぷりのったタルト。「おたんじょうびおめでとう」と書いたホワイトチョコレートの板、最後にぼくにくれる。

「ホワイトチョコ、好きでしょ?」

夕ご飯はチーズナンを食べにインドカレー屋。ぼくのチキンカレーがあまっているのをみて、ちぎってチーズナンを分けてくれる。待ち時間に読むのは星新一さんの『凶夢など30』の古い文庫本。動画はプリキュア

中学の部活、何入るのかな、と聞いたら「何があるの?」と返ってくる。美術部の静物画の話をする。輪郭は基本的に書かない、影だけで立体を表現するといったら驚いていた。彼女の今日着ていたシャツは、学童のワークショップでつくった自分の模様が胸に描いてあるもの。輪郭だけで書いたピンクの線のきれいな花の模様。いわれなければ自作とは気づかなかった。

運動部のマネージャーに高校になったらなりたい、といっていた。スラムダンクやハイキューで、イメージがある。楽しそうだと。たしかに、いろいろ気がきく彼女がマネージャーにいたら、親バカだけど、その部活、その代は当たりだ。

これからも、健やかに育ってくれますように。おめでとう。10年後、ビール、一緒に飲むことを楽しみに。