マッチング理論

マッチング理論とマーケットデザインについて学び、対談させていただく機会があった。

世界はもっとよくなるという前向きな実感をもてた。なるほどデジタル技術や経済理論に裏打ちされたアルゴリズムを活用すると、より丁寧に人間の気持ちに寄り添うことができることもあるのだな。アナログ=人間っぽい、ではない。

「べきだ」論やゼロイチ論といった思弁の共感だけでは変わらない制度も、数学を援用した説得によって、合意形成を図れることもある。

いまの制度がベストではない、そうみんな思っている。でも、どう変わればいいかがわからない。

とはいえ、電子決済だってスマホだって、与えられたら一気に普及する。なれるまでが簡単だし、その便利さの恩恵に一度預かると、もう戻れなくなる。技術の進歩というのはそれまでのものをすべて飲み込み、不可逆だ。

マッチング理論のアルゴリズムも、その可能性がある。十数年後には、みんなが普通に使いこなしている世の中になっている。。

人生で、選ぶタイミングがくるときに必ず発動する。入試や入園、係を決める、就職など。規模が大きくても小さくても、みんなが一斉に希望を出す。定員があり、受け手の希望もある。そのとき、できるだけ他人の動きに左右されることなく、自分に正直に希望を言えるほうがいいし、受け手にとっても、できるだけ真っ直ぐに自分を希望して、かつお誂えな人を受け入れたい。駆け引きや抜け駆けがない、公平な競争のほうが、いいに決まっている。公平性が、一歩、深い。決定ルールも明快だ。

人生、何度も定期的にマッチングの機会が与えられ、転職も当たり前になる。自分に正直になり、何がしたいのか、自分を見つめ、己をもっと知りたくなる。そのために同時に、世界のことも。

何がいい、どうなりたいか。その希望はできるだけ多様な方がいい。価値観が偏っていることはない。みなそれぞれの道を求道する。いろんな尺度があるときのほうが、アルゴリズムは最適解を導く力をより発揮できるそうだ。

そのほうが、いい。たとえばプロ野球のドラフト会議をマッチングのアルゴリズムを実装したら、みんな巨人を希望して、巨人がさらにいい選手を集めて強くなった、というのではつまらない。バラバラの希望にバラけたほうが白熱するだろう。

 

要は、透明で、自分に正直になれて、価値観が多様で、柔軟に自分を活かす機会に溢れた社会を作るということが、可能なのだ。とてもいいこと。

これまではお金持ちになったり、偉くなれば人生の選択肢が増え、多くの影響力を及ぼすことができる。それが人生の豊かさ、幸福かというと、そうではない。みんながそれを目指したくなる構造になっていながら、それがそのまま幸福度と一対一ではない。自分の思い次第でなんとでも解釈ができる。その冗長性が、資本主義のいいところだと思う。仮に選択肢が多くても、自分の人生を過ごす物理的空間や時間は限られている。その幅の中で、よきタイミングで、ちゃんとふさわしいものに出会い、そこに身を置くように選べるか。そのほうが人生の豊かさを得る上では肝要だ。経済学用語では、量に依存したコモディティと質に依存したマッチングの対照ということらしい。

 

できるだけ小さいころは、できるだけいろんな経験をさせ、なんでも楽しむ機会を積むこと。それがやっぱりいいらしい。やがて大きくなって、自分が何を好きか、得意かというのは、実社会に出てから、本当にそうか問い直し、やっぱり違ったと思うこともあるだろう。小さいころは社会を知らない。だから自分のこともわからない。でもそういうときも、絶望せず、また別のチャンスに出会いやすいように、マッチング理論が実装された社会ではなっている。そこに、希望を感じる。

面白い機会が与えられたら、「自分にできるかな」と躊躇することなく、それに飛びついてみることだ。直接の対話というのは、実に学ぶことが大きい。傍観するのとは理解の深さが違う。事前に予習もしぜんと一生懸命するし。パパの今日はそういう機会だった。

かねてからベンサムに興味があった。次世代のベンサムに、今日は会えた気がした。学術的な研究にとどまらず、社会に実装する執念をもった学者さんは心強い、というか最強だ。つくづく、このマッチングに感謝である。