牢屋

仕事がどれも雑用ではあるが細々忙しくて帰りが遅く、子どもと過ごす時間がない。まぁ子どもたちはそれなりに大きくなったし、もはやそれで成り立つのかもしれない。息子とはもう会話もないし、父親がいない方がのびのびできてむしろ嬉しいのだろう。一緒に「遊んで」ももうないし、特に与えるものも、さしてない。家計は困窮しつづけているから、少しでも稼ぎになるほうが、家にいられるより都合がいい。中年の父はこれだから帰らないのか。

ただ、このような仕事中心の生活をするくらいなら東京なりでバリバリ、昔のように自分を試しながら世のため人のためにやりたかったな。気づいても時すでに遅し。

日々、そこらへんの学生でもできる簡単なバイトこんな事務処理をやってたのではさすがに人生虚しい。さらに、それにしては歳だけとり、やることに対して時給をもらいすぎであるという罪悪感が輪をかけて気を沈める。定年まであと23年。生きているかぎり、これが続くのか。怠惰であるほど、諦めて、求めないほど、価値を求めず動かないほど、楽で、報われる仕事人生。牢屋である。重罪を犯したわけではない。しかしお金がもらえるからと、自ら進んで牢屋に入り、ただ与えられた義務を日々こなして過ごす。命は奪われることない。それを安定と呼んで、だましだまし自分を納得させながく我慢し続ける。周りからは「社会に出ても、一円も稼げない」とバカにされていることも知らずに。歳をとり、お役御免で牢屋から出た日が来たら、当然使い道はない。天下りでまた牢屋に入る。そして、使えない、居座って邪魔だと陰口をたたかれる。リスクをとってない以上、リターンもないのは仕方ない。しかしそれはゼロではなく、社会にとってマイナスであることも、謙虚に自覚して、その分、何かしら役に立とうとせねばならない。

仕事の内容や成果ではなく、ダラダラ遅く長く時間した方が給料がもらえるこの時給システムはなんとかならないものか。自分は社会の役に立っているのか、このままでいいのか。生活保護を受けているだけではないのか。毎日悩む。人生を安売りしている気にもなりつつ、役に立っていないながらも家族のために給料をもらわざるを得ない罪悪感もあり、そのアンビバレントな深い溝に落ち、押し潰されそうになる。

こうぶつくさいうのも、ほんとはしたくない。こんな環境にしか仕事にありつけない自分の不甲斐なさ、自分の弱さ、甘さが全ての原因だ。努力が足らなかった。自業自得なのだ。自営業でちゃんと稼いだ両親は偉大であった。一人っ子でたくさん教育費を投資してもらったのに、いろいろ棒に振ることになって、実に申し訳ない。同級生はみな立派になって、ぼくの倍以上は優に稼いで、立派な仕事をしている。全国でも抜きん出て活躍する親友の一人は言った。「あんな、価値を出そうとしない、頑張らず、努力しないでも報われる公務員の世界では、おれはやっていけない」。活躍しすぎてお声がかかるが前例がない、そういう決まりだからと怠惰な事務方に邪魔をされたという。結果、去る決断をした。当然ヘッドハントされ、もっといい条件の職場にうつる。尊敬していた先輩も、ついにこの春辞めた。ぼくが優秀だと感じる真っ当な考えをもつ人ほど、愛想をつかし、求められて新たな環境と出会い、ことごとく去って行く。喜ばしいことだ。生産的、やる気のある人が集まる環境を求めるのは自然なこと。自分は、忍耐を美徳と思い込み、残るしか能がない。残る人にも、見返りを求めず頑張る善い人もいる。

最近はもう飲みにいくのも楽しめず、自分が情けなくなり、最後は辛くなるので行く気がしない。

毎月お金に困り、何を買うにしても価格ばかり気にしてチマチマして罪悪感ばかりの、稼げないダメ息子になってしまった。どこで道を間違えたのだろう。こんな大人に、あの頃なりたかったのか。いや一瞬たりとも思わなかったはずだ。真逆に落ち着いてしまった。両親にも、若い頃の自分にも顔向けできない。穴があったら入りたい。子どもたちにも悪影響だ。反面教師として、我が子には器は大きくあってほしい。世のため人のため、役に立つ現場で、働くことのやりがいを実感しながら、自分を活かせる仕事についてほしいと願うばかりだ。こうなってほしくない。毎日、手を抜かず真剣に仕事はしてるんだけどな。たまたま、図書館づくりに貢献できたのは幸運だった。育児制度を使ってたからこその偶然。もうそのような機会には出会えないだろう。

何につけ優先してきた子育ても、結局こんな体たらくだから、立派にできたとは胸をはれない。だから最近、筆も重たい。みんなが元気に大きく育ってくれることが、救いである。白髪になり、禿げて、老眼になってゆく。生を思いっきり燃焼することは、もうなかろう。ぼくにできることはあきらめること。次の世代が育っていることを喜び、あとは託す。

区切り

年度末。6年半やった、図書館プロジェクトへの従事が最後の日。大きな区切りなので、奮発して回転寿司にいく。みんなよく食べるようになって、2万円した。目が飛び出た。この6年半でそれぞれ大きくなったということか。ぼくはコスト抑えるために、わさび巻きをたくさんたべた。はじめてビールを一杯たのむ。コントロールできるのは自分だけ。あとは人生ただ流されるのみ。できれば、なるべく静かに。

アップルパイ

次女と買い出しにいき、アップルパイをつくる。ママが息子の遠征、泊まりがけの応援から帰ってきたのに合わせて焼けるように。

ママが喜ぶかなと楽しみに、ニコニコつくる。美しい感情だなぁ。ママが喜ぶ顔をみて、うれしそうにしていた。

初めてで、レシピをみながらだったけど意外に、美味しくできた。ただ、かくし味のラム酒はいらなかったらしい。電子レンジフル活用。

親子丼

長女の友だちが、泊まりに来た。次女はお泊まりイベントではいない。彼女は親友の一人なのだろう。気があうのだろう、実にキャッキャ楽しそうである。ぼくが夕食をつくる。親子丼。それがとても美味しかったそうで、友だちは家に帰ってからもママにいっていたそうだ。うれしいものである。

学問

「学問って、なに?」(次女)。夕食のとき。勉強より、学問をする方が楽しいという話をしてるとき。いま学校で習っていることは、世界を、自分を解釈する術。過去の幾多の天才たちの人生をかけて得た研究の一端を、分かりやすく得ている。なんとも贅沢な話だが、そのありがたみは義務になったとたん、感じなくなる。

その術を使って、自分の知りたいことを追求する。巨人の肩に乗って、世界を眺めて、自らもこれからの人がより高いところから見えるよう、がんばって研究すること、学問について、そんな説明をしてみた。

無駄

若い頃の特権は、思う存分無駄な時間を過ごすことなのだろう。若い頃に時間に追われて好きでもないことをがまんすると、大人になって、しっぺがえしのように余暇を求めるのかもしれない。一部、高みを目指して直向きに努力しつづけることができる人がいるが、みながそうではない。自分に甘く、怠惰で、逃げながら生きる人もたくさんいるだろう。ぼくもその一人だ。

 

高校時代、大いに時間を無駄にした。周囲の心配をよそに、本人は楽しんでいた。中学は好きでもない勉強を我慢しながらやった。浪人時代、親に頭をさげて、自分で決めて努力するようになった。予備校。はじめて授業や勉強を面白く感じた。大学も、建築に夢中になって勉強した。同級生が海外にいっているとき、大阪に青春をささげた。

 

とはいえ、結局このように堕落した。いまの仕事の手を抜いているという意味ではない。いいものをつくることには全力をつくす。当然、給料以上の仕事はする。しかし、人生を捧げたいとおもえる道をいっているとはいえない。むしろ、高くない価格で売っているという感覚だ。まっすぐの人生で自分の腕で勝負している人はまぶしく、羨ましい。

 

役所で高みは目指せない。心が拒絶する。物差しが中学の生徒会から変わらず、守られた環境での出世すごろくには興味をもてない。いい仕事との相関はないとはいえなくとも、薄い。アメリカ企業を辞めるとき、昇る意欲も一緒に捨てた。あっちでやるほうがよっぽどエキサイティングだし、可能性もあっただけに。

その分、支配される側のままなのは、仕方ない。いいように使われて、振り回される。努力してないのだから、それは甘んじるしかない。若い頃、ぼくは母や家系の価値観に影響されすぎて、反抗はしたものの、若い頃にそれらに振り回されたからかもしれない。ミーハーだったのだ。ミーハーは、毒でしかない。やっと解毒できたぼくは、もうおりこうさんにはなれない。求めたくはないし、あきらめる。

 

もちろん、いいこと、得難い経験できたし、たくさんの貴重な出会いもあった。とはいえ、自分の道をみつける余裕がなかったのかもしれない。親として「こうしたらよい」なんて言える人生でない。むしろ自分のように中途半端にやるな、といいたい。

人生はいつまでか、わからない。あまり将来ことは考えず、自分の心に素直に、無駄にできる特権を楽しみながら、道を外さない中で好きなようにしたらいいのだろう。息子は幸い、与えられた環境に無難にしなやかに対応して楽しむ術はもっているらしい。青春時代を元気に楽しく全力投球する。ぼくができなかった分、やってみて、悔いのないようにしたらいい。ぼくが大学生になったり、社会人になって特に評価された力は、高校時代の無駄に過ごしたあの日々、落ちこぼれだったときに、どん底から世の中を眺めたり、自分は何者であるかをもがき、真剣に考えた、あの頃に養われたものがベースになっている。無駄は、すべてが無駄ではなかったりする。