トランポリン

久しぶりにトランポリンに言った。ストップウォッチで時間を測ったり、マットを入れたり、親も何かと忙しい。20回ジャンプする時間。長いほうが高く飛んでいるということでいいそうだ。

マットを入れるのも気を使う。長女はくるっとまわって落ちるとき、次女は背中から落ちるときだから気を抜けない。長女はぼくがマットを入れるタイミング、位置を失敗して以来、まったく信頼していない。最初は「こわい」と他のママに変わってほしいというかんじだったが、ぼくが積極的に声出してやっていくうちに慣れた。

次女はぼくがわからないだろうと、事前に「ここだよ」と脇のトランポリンで何度も実演しながら教えてくれたからスムーズにいった。

娘たちの足が長いとコーチがいう。

「お父さんの影響だとおもったけど、ちがうみたいね」とぼくの足をみて納得していた。

今日はやることがたくさんあったので、時間が経つのが早かった。マットも能動的にやれば、楽しく感じた。仕事とはそういうものなのだな。やらされているうちは面倒くさいだけで楽しくないから、何事もの自分から仕掛けて、ものにするつもりでやればいいのだ。

新しい椅子

増築もあり、我が家に椅子3脚が新しくきた。ぼくはもうほとんど物欲がないが、いまでも椅子だけは一生モノを我が家におきたい。ないお金も椅子には充てたい。いつも世話になっている無二の親友にも新居祝いで一脚プレゼントすることにした。

もちろん座り心地は最高である。どれも身体が「うんそうそう」といっているようなフィット感。つかれない。ずっと座っていたい。ものすごくうれしい。

長女がお風呂場で「将来、私の家にも3つとも置く」といってくれて、なおうれしい。彼女もそのうちのひとつ、ハンギングチェアが我が家にきたとき、吸いつけられるように座っていたし、いまもときどき読書しつつゆらゆらしている。

ぼくはこれからの人生の自由時間は家族と過ごすことはもちろんだけど、読みたい本とお気に入りの椅子と景色を望む窓があれば十分だ。そこでコーヒーを飲んで、たまにはこうして文を書いたり、気心しれない仲間と話したり、信頼している人からなにかを頼まれたら一緒に考えたりして過ごす。そしてときどきマルとメルと遊んで、庭にいって土に触る。それができれば、もう十分しあわせだ。流されず自分に向き合えば、しあわせとはシンプルなものなのだろう。

海と国境

「海に囲まれていたら、なんで戦争少ないの?」(長女)

お風呂で。娘たちと戦争はなんで起こるかという話になる。ナイチンゲールは彼女たちもしっている。彼女が活躍したのはクリミア戦争。現代も戦火は続く。

「ずっとやってるって、戦争すきなの?」と長女。

「昔は船で世界を移動していたでしょう。車も飛行機もない時代。クリミア半島の形しってる?欲しくなったんだろうなぁ。ヨーロッパは、国と国の間に線が引いてない。だから戦争になる」

「引けばいいじゃん。女王様とか大統領が」

戦争を避けるための初歩的な知恵を出す。

「それぞれの国にいるんだよ」

我が家ととなりのお家に線がなかったら、植木鉢をおいたりしたり、ややこしい話になることで例える。そして、その家と家の間に金とかダイヤモンドがもしも出たら。

「自分のものです、っていいたいでしょ?」

うんうんとうなずく次女。

「だから戦争になるのよ。どっちも自分のものにしてお金儲けしたいとなったら」

「はんぶんこすればいい」

次女の提案。そう交渉による解決の道があることは子どもでもわかるのだ。

「日本は戦争、ないの?」

あった。おじいちゃんは中国大陸に戦争にいっていた。

「でも、海で囲われていたから、少ない。だって海からこっちはうち、そっちはおたくっていえば、『うんうん』ってなるでしょ」

うなずく二人。

とはいえ、もちろんそんなに話は単純でもない。沖縄は本土に帰って50周年だという。香港、台湾のこと、北方領土もある。だから一応ふれておく。

おじいちゃんの戦争の話になったので、すでに言っていた逸話を話す。長女が忘れていたのでもう一度。

おじいちゃんは徴兵された。徴兵は避けられなかった。おばあちゃんや娘とも今生の別れかもしれいとおもって、家を出た。行き先は大陸。陸軍の一番下っ端である。その戦地から帰ってきたか理由が、実におじいちゃんらしい、あるいは、福耳のおばあちゃんらしいのだ。下っ端でも持っているカードを切るタイミングが、最高のときに偶然訪れた。もちろん、そこに祖父の意志はない。でも、そのおかげでぼくが、我が子たちが生まれた。

これからもお墓に手を合わせよう。きっと気をつけていれば、守ってくれる。一昨年、妻が熊に遭遇したとき、妻も無傷だったことに加え、次女はたまたま妻をいつものようにおいかけず、たまたまそのときだけ車の中にいた。あの危機回避も、祖父母の守護のおかげだとおもっている。我が家系としては代々語りついでいってもらいたい。

ダイニングの吹抜け

夜。次女の歯をダイニングで仕上げで磨いてあげるとき、自然と顔が上を向く。そのとき、上方の大きな窓の先に次女が「みて」と月を見つける。

「今日は満月だね」

顔を上げろ。そしたらいいことがある。

それを体感できるこのダイニングの吹抜けと大窓のつくりは、とても気に入っている。

クラゲ

「生まれ変わったら、クラゲになりたい」(長女)

お風呂で。

「心臓8個あって、生き返るから」

英語では”jellyfish”というのだと教えてくれた。

「じゃ、パパもクラゲに生まれ変わるのかな」

「パパは、ワニ」

「食べちゃうよ」

ママはチョウチンアンコウなのだという。

「深海で暮らせばいいんじゃない」

昨日の夜、太陽がなくなったらすべての生き物は死ぬのかという質問があり、「深海魚だけは大丈夫かも」という話したことも影響しているのか。

次女が合いの手。

「ワニの口の中で守ってあげればいいんじゃない」

これは以前、テレビでワニの母親が子どもたちを口の中に入れて運ぶ様子を見たからか。

「ママは人魚。パパも人魚でいいんじゃない」

パパは生まれ変わったらママと結婚できないのか、と言ったことを拾ってくれたのだろう。息子はというと、息子なのだそうだ。

はじめてのカレー

「おいしい?」(次女)

夕食のとき。

連休明け、次女はお腹がいたいと学校を休んだ。妻と二人家で過ごす。長女と長男は行った。休むことが決定したらすぐに治ったという。夕庭の草むしりを手伝ってくれたそうだ。

夕ご飯は次女がカレーを全部自作して家族みんなにふるまってくれた。帰宅したら、完成した増築したテラスで、夕陽をみながら女子3人が食べている。テラスのこけら落としとしては申し分ない。気持ち良い景色である。夕陽が沈むところをずっと女子3人はみていたと次女が教えてくれる。まばたきをするたびに、太陽の形が変わっていったこと。

夕陽は沈んだものの、ぼくもテラスに慌てていってカレーを食べる。次女がおかわりをせっせと運んでくれる。上の質問。何口か食べて「おいしい。ありがとう」と伝える。しっかり火が通っていて、ちゃんとカレーになっている。何度も褒めて、をいう。

公文から帰ってきて、遅ればせながら食べる息子にも「おいしい?」と尋ねている。

みんなから「おいしい」といってもらえて、寝床に入るときも満足そうであった。全部自分でやりきったことにも手応えがあるのだろう。

「カレーをつくれたら、シチューもつくれるよ」と枕元で妻。

「またつくってほしい?父の日にもつくってあげるね」

記念日うちの一つである。