最後の卒園式

我が家最後の卒園式。次女が保育園を巣立った。

天気は全国的に大雨だったが、朝はかろうじて天気がもっていた。担任のリュウ先生が「この子たちはもっていて、不思議と天気予報が悪くても大丈夫だったりするんですよ」と妻に前日いっていたそうだ。

朝早くから妻は振り袖、次女は袴を着付けてもらうために美容院まで来るまで送る。2時間ほどして、義母に送ってもらって着付けてもらった二人が帰ってくる。ぼくはその間長女と神経衰弱をする。

「負けても泣かないでよ、パパ強いよ。」

「いいよ。」

1回目はメガネをしないでテキトウに相手をしたら惨敗した。思いの外強い。

「わたし、あまり負けたことないもん」

学童でやって鍛えられたようだ。2回目はメガネをして少し真剣にしたら、なんとか1組差で買った。悔しそうだ。

「パパ、まぐれでとったの3つくらいあったからね」

 

次女は髪も袴もしっかり整えて可愛らしいが、顔が浮かばない。胸が苦しくて息ができないそうだ。テンションが低い。

それでも「袴で行く」という意志は固いので、そのまま車に乗って保育園へ。息子と長女には留守番をお願い。

保育園につくと同じように袴姿の友だちがいて、気持ちが切り替わったのか顔が明るくなり、ワイワイやっている。雨は降りはじめ、傘をさしながら玄関先で扉が開くのを待つ。無事、コロナもなく卒園式を迎えることができたし、元気に出席できた。

扉が開く。先に扉のそばにいた次女が中に「早く」と手招きする。中に入るとスーツ姿の先生方が「おめでとう」とみな声をかけてくれる。ぼくをよく知っている先生は「パパ、今日ついに最後ですね」と感慨深そうに声をかけてくれる。「はい。ほんとうに。」それ以上の言葉が出ない。

体温を測ってもらって、次女が胸元に花をつけてもらう。友だちどおしが集まり、記念撮影をしながら奥の大ホールに向かう。育休中の先生も来てくれて再会。

 

妻はじめ、ママさんは真ん中の花道をはさんで卒園生の向かいに座る。ぼくらパパさんは後方にカメラとともに座る。花道は後方にも貫かれている。我が子が側まできてくれるようにする配慮だろう。

会場はこれまでの写真が壁に沢山飾られ、後方には卒園アルバムや記念品のしいたけの原木がおのおのの園児の写真とともに飾られている。

式がはじまった矢先、息子から連絡がはいる。出席していたオンラインワークショップzoomに入室ができなくなったとのこと。iPadの時間制限のためらしい。パスコードがわからないと。ぼくも分からないが、妻との離れ離れなので聞くこともできない。このワークショップは知人から数ヶ月前から絶対出席してほしいと頼まれていたもので、欠席は愚か遅刻もできないもの。天を仰ぐ。一応、ぼくのパソコンを立ち上げて入室するようにメッセンジャーで手順を指示する。そんなやりとりをしていたがために、卒園式に浸れない。泣きそうだった涙も引いた。実に歯がゆい。

次女が卒園証書をもらう数秒前までやりとりが続く。次女の名前が呼ばれて、前にいくときに慌ててカメラを構え、左手のiPhoneで動画、右手のカメラで写真を撮る。ほんとうは、撮影もぜずじっくり姿をみていたいのに、バタバタだ。

次女らしい大きさの声で「はい」と名前を呼ばれて返事をする。5年間の過程をこの保育園では修了した。彼女はこの保育園しかしらない。園長から証書をもらい、大きく両手をあげて、回れ右をする。視線の先には妻が立っていて、そこにむかってあるいてくる。少しはにかんでいる。証書を妻に渡すときに「ありがとう」と声をかけている。そしてまた席に戻る。しっかり写真をとれた。

彼女が席につくと、息子からも連絡が入らなくなった。無事に入室できたようだ。知人からも同じように連絡がはいる。

そのあと、他の子の証書を受け取るのを呆然と眺める。知ってる子ばかりだ。次女の保育園の保護者が参加するイベントも、1回も欠かさずすべて出席した。やりきった。

証書の授与が終わったら、園長の挨拶。

「卒園おめでとう」と園長がいうと「はい」とみんなが返事をする。

「みんな、山にいって、食べてはいけない草がわかるよになったね。かまどの火が大きくなったらどうしたらいいかも、わかるようになったね」

「しゃがむ」

「川で溺れそうになったら、どうしたらいいかもわかるようになったね」

「うん」

園長先生の話に都度返事をする。日頃からそうなのだろう。距離が近い。春夏秋冬、すべての季節で川と山につれてってもらった。自分たちで釜戸の火を炊いてカレーをつくることもできるようにもなっていた。

アウトドアではないぼくが、「こういうこと一緒に教えることができたらな」と憧れていたことを、期待以上のクオリティでやってくれた。しかもそれが日常的にある。ぼくには理想を絵に描いたような保育園だった。ここで5年もの期間を過ごした次女は幸せ者だ。

そのあと、園児からの歌と掛け声。歌はドラえもんのテーマの『虹』であった。そういえば、家でも「『虹』かけて」とたびたびいっていた。でも、卒園式で歌うのはサプライズだという約束を先生としていたのだろう、理由は口にしなかった。掛け声は大きな声でママとパパにお礼をいってくれる。途中で次のセリフがでてこなくなって、リュウ先生から「もう一度やろう」と仕切り直し。会場が笑う。

以上でプログラムが全部終了。もう一回会場を歩いて、退場していった。

続いて保護者からの謝恩会。会場設営をして、ビデオ上映をして、記念品を贈呈して記念撮影をする。ママさんたちの尽力で事前準備が行き届いていたこともあり、つつがなくプログラムが流れていって、あっという間に終わってしまった。

最後のリュウ先生からのスピーチ。長女のときから3年連続で年長を担任されたが、「この子たちのまとまりはこれまでで一番だった」そうだ。

「ぼくがはっきりいえることは、『120%のちからで子どもたちと向き合った』、それだけは言えます」ときっぱりおっしゃっていた。ぼくもずっと見続けてきて、それはよくわかる。仕事だからやっているのではなく、子どもたちのことが好きだからこその全力。ほんとうのプロフェッショナルとはこういう方のことなのだろう。

慌ただしいまま、きちんと先生方に個別にお礼もいえないまま、保育園を出て、車にのり、帰路につく。これで終わりだとはまだ実感がわかない。雨が激しくなっていた。もう保育園に通わない、喪失感に呆然とするはずなのだが、受け入れたくない。その葛藤で、頭がぼーっとしている。次女に何度も「おめでとう」と伝えるが、それを口にするたびに終わりであることを実感して同時に寂しさがこみ上げてくる。こんな感情は長女のときにはなかった。次女の存在があったからだ。

家に帰ると息子がパソコンの充電が切れたということでまたzoomが落ちてしまったとトラブっている。感傷が打ち消され、また対策をする。妻がいるのでiPadを立ち上げて再開することができた。息子はワークショップ自体は「たのしかった」そうだ。こんなかんじでぼくが卒園式に浸ることができなかったというと「あら、ごめんなさい」と素直だ。息子が悪いわけじゃないとフォローする。長女が「神経衰弱しよう」とまた声をかけてくれるが、塾に行く時間なので、彼女に肉まん一つを頬張らせてそのまま車に乗せて駅の方にむかう。次々やることがあり、ゆっくりする時間がない。ついでにガソリンを入れるためにコストコに行くことにして、日曜日なので空き瓶もスーパーに捨てにいくことにする。

長女を塾に落として、コストコにむかう。そういえばぼくも肉まんしか食べていない。でも昼ごはんを食べる時間はない。コストコにいって買い物をして、そのまま塾のお迎えにむかう。塾にはお迎えの時間から5分遅刻して着いた。長女が車に乗ってくる。

「むずかしかった」という感想が最初に口を出る。「割り算の筆算したんだよ。」

先取り教育をさせたいわけではないので「つらかったら、やめたらいいよ」というが首を横に振る。春休みの間はつづけたいそうだ。

家について、ようやくコストコで買ったBTLロールをほおばってお腹を落ち着ける。妻も疲れて横になっていた。謝恩会でパパ友がつくったDVDが素晴らしいそうだ。保育園がつくってくれた自然体験の様子を収録したDVDも。

早めの夕ご飯に行くことにした。次女は「ピザが食べたい」ということで先日いきそびれたファミリーレストランにむかう。レストランにつくと、次女はハンバーグを頼んでいた。「今日はお祝いだからデザート頼んでいいよ」というと「やったー」と喜ぶ。息子も長女も「いいの?」と聞くのでOKする。フライドポテトを子ども一人一皿たべている。今日の卒園式のことを振り返ったり、長女の塾の話や息子のワークショップの話。「保育園はいけなくなるけど、小学校も楽しいよ」と次女にいう。笑顔になる。それはぼく自身にいう慰めでもある。

お腹がいっぱいになる前にぼくにハンバーグの残りを食べてとお願いされる。そしてパンケーキを頼む。息子はわらび餅、長女はアイス。満腹で店を出る。かれこれ入店して1時間半ほど経っていた。

「早い夕食、いいね」と妻。

その後、長女のかねてからのリクエストであった「本屋へ行く」ことを実現してあげる。「3ヶ月まったぞ」と長女。何を買いたいか聞くとどうも動物関係の本がほしいらしい。

本屋につくと、おのおのの子どもたちが本を探し、立ち読みに読み耽る。みんな本が好きだ。

息子はアガサ・クリスティを、長女は動物の話、次女は絵本シールを選んで、それぞれ1冊ずつ購入。長女だけは本をぼくに預けず「自分でやる」と会計まで一緒についてくる。そのついでに建築雑誌に載っている香山先生が改修の実施設計をされた大学の図書館の写真を見せる。興味深そうにしげしげとみる。

「香山先生って、すごいんだね。」

「そうだよ。とっても。」

嬉しそうだ。

家に帰ったらそれぞれ本を読みながら、DVDと卒園アルバムをみる。懐かしい次女の写真が四季ごとに並んでいる。園庭、山、畑、川を舞台に伸び伸びいろんなことを体験している。雪山でリュウ先生と一緒にソリを滑ったり、川で園長の背中に捕まったり、園庭で虫を捕まえたり。写真の間に、一人ひとりに手作りでメッセージを沢山いれてくれている。次女は優しくて気が利いて、友だちに椅子を譲ったり、ゴミを拾ったり、先生の準備を手伝ってくれることを褒めてくれている。お世辞でもうれしい。

この愛の溢れるアルバムもまた、仕事だからやっているクオリティではない。愛がないとできない。この保育園はどこまですごいんだ。これ以上のことを思いつかないくらい、徹底的に子どもたちが喜ぶことをやりつくしてくれている。DVDでは次女が出るたびに次女の方をむき「かわいいね」を繰り返す。

将来の夢をそれぞれの園児が語っている。次女は「キャビンアテンダント」であった。「今も?」と尋ねると「今は自衛隊」と返ってきた。先日、MISIA自衛隊に対して歌っていた歌番組があって、そのときに「自衛隊はたくさんの人を助ける」とぼくが説明したら「かっこいい」と思ったそうだ。キッザニアの体験から数年貫いてきたCAが塗り替えられた。これは大きなことだ。いつまで続くのか。

最後のページはぼくら親からの手紙。次女は初めて読む。ぼくと次女が登園しているときの道端の挿絵を描いた。一緒に歩いて登園した時間が宝物なのだ。それを伝えた。

改めて抱きしめて「おめでとう」と伝える。お風呂から上がって身体を拭くときも、同じことをした。

「『愛情たっぷり100%』って、書いてなかったね」と次女。

「ねえ、過去と未来って、なに?」

「過去はいままで、未来はこれから」とぼく。

「そうなんだ。じゃ、『過去と未来って、なに?』といったのも、過去?」

「そうなるね」

「ふうん」

納得したようすで、服をきている。次女に優しいってアルバムに書いてあったことを褒めると「整理整頓好きだから」と返ってくる。「スーパーで買い物かごの中も整理するの好きだよ」とのこと。でも「自分がやる」ってなって長女と喧嘩になっちゃうとも。

「喧嘩しても、仲直りすれはいいよ。喧嘩しただ後の方が、仲直りしたら仲良くなってるぞ」

「なんで?」

「そのほうが相手が何を考えるか、よくわかってるから」

「ふうん」

次女のドライヤーが終わったころ、長女がお風呂から上がってくる。同じくドライヤーをして、皮膚科の薬を全身に塗ってあげる。

 

3月末まで、保育園には通う。今週はお泊り保育もしてくれる。舞台でいえば、カーテンコールの時間だ。存分に楽しんでほしい。でもぼくは、やはりしばらくロスが続きそうだ。ぼくが卒園するにはまだ時間がかかる。保育園がない生活など、考えられない。子どもたちは優しく、たくましく育ってくれた。自然の素晴らしさ、地球への畏敬の念も感じているに違いない。

感謝の気持ちでいっぱい。いい1日だった。保育園とともに過ごしたこの6年間の家族の日々は、一生の宝物だ。