お別れ会

「あと何回?歩いていける?」(次女)

朝。保育園に登園するとき。車でいくか、歩いていくか悩んでいる。雨は降っていないし、ぼくは歩いていきたい。そこで次女が判断するためにこの質問をしてきた。

「あと、5回もないんじゃないかな。晴れるかもわからないし」

「じゃ、歩いていく」

玄関を出て、いつものようにぼくが自転車を用意する。今日は資源ごみの日。大きなゴミ袋がひとつ。

「持ってあげる」と次女。

「自転車に乗る?」といつものようにサドルに座ることを勧めるが、今日は断われる。

「だって、小学校になったら歩かなきゃなんでしょ」と次女。

ゴミ袋を両手いっぱいに前にもったまま、歩きはじめた。視界は狭かろう。でも「持っていく」といってきかない。

途中で花が咲いたふきのとうがいっぱい崖地にひょっこり群生している。

「パパ好きなんでしょ」

保育園の先生がそういってたらしい。こないだ持って帰ってきた。

「でも花が咲いたら、もう美味しくないみたいよ」

「そうなんだ」

ゴミ捨て場についてようやく捨てて身軽になると、今度は走りはじめた。

「歩いていくなら、階段の道からいく?」とショートカットを勧めるけど、それも断って、自転車でいっている遠回りの並木道から行くという。

自転車の手押しでは彼女においていかれる。ぼくは自転車を漕いで後ろから背中をおいかける。たくましくなったものだ。

「疲れるから、あるけばいいよ」とか「リュックもってあげようか」と心配になって声をかけるが、それらも固辞。

交差点では後ろからストップすることを声をかける。そういえば、次女にちゃんと交通ルールを教えたことがない。息子は東京で泣くほどスパルタで仕込んだ。長女も確か教えたはず。

次女は保育園で警察官がきて教えてくれたといっていたこともあったらから、一応は心得ているらしい。道を渡るときは右手を挙げている。

ある交差点で左からくる車が止まって「いっていいよ」と手で合図してくれた。そこで駆け出す次女に「右もちゃんとみなさい」と教える。左で止まったからといったって、右から来るかもしれないという注意。

「右から来たら、車ぶつかるじゃん」と混乱気味なので、立ち止まってちゃんと教える。春からは一人で判断しなきゃいけない。

それにしてもだ。保育園までちゃんと駆け足が途絶えなかった。途中で息が切れて立ち止まったことがあったが、また走り出す。ついに保育園の玄関に自転車に頼らず、完走してしまった。「夏に登山もいけるね」と褒める。そしてその成長に、だからもう卒園なのだとスッキリする。

保育園につくと、いつものように一番小さな教室からようやく立ち歩きできるようになった子どもが廊下に面した窓から顔を出している。3人くらいが長女の顔をみたら寄ってきて、しばらく可愛がっている。その姿も年長のお姉さんだ。

今日は年中さん以下が企画してくれたお別れ会で、大ホールの壁にはこれまでの年長さんの子たちの思い出の写真がずらっと飾られていた。小さな頃から最近のものまである。泥だらけの水田に飛び込む、裏山で木登りする、雪山でそりをすべる、飯盒炊飯する、ヤギに餌をあげるなどなど。四季折々山と戯れた写真の数々。これだけのことを5年間体験させてもらったのだから、そりゃ今朝の「走っていく」という挑戦も彼女がこなすようになるわけだと写真を見ながら納得する。

リュウ先生にその写真のことを褒めたら「そう。企画して貼ってくれたんです。卒園式まで残しておいてってお願いしました」とのこと。思いがこみ上げてきたのでそれ以上の言葉は飲み込んで去る。目頭が熱くなった。卒園式はこらえられそうにない。