息子いない土曜日

この週末も息子はスキー合宿に旅立っていった。学校の友だちもいないので単身乗り込んだことになる。そのあたり、おじけずかず飛び込む心意気はたいしたもんだ。

であるからテニスや図書館、塾の送迎といういつものルーティンがないくなりぼくは比較的自由である。幸いやることが山積しているのでいろいろすすめることができた。

今年一番の温かい陽気で晴れているので、娘たちがかねてから行きたがっていたというシーソーのある公園まで自転車でいくという。その公園は山をおりた先にあるから、「行きはよいよいかえりはこわい」である。次女が長い坂を登れるとはとても思えない。それでも「かならずがんばって帰る」と誓って娘たちと妻は出ていった。

オンラインの会議を終えてぼくもその公園に向かう。着いた頃にはシーソーにはすでに満足したのだろう、氷鬼を妻を交えてしていた。ぼくも混ざって1回やったあと、近所の次女の友だちが家に不在のときに来た旨を次女に伝えると「早く帰りたい」といって帰ることになる。トイレもしたくなったようだ。

自転車にまたがって、4台、川沿いの道をみんなでツーツーと走る。妻と長女が先にいき、まだややたどたどしい運転の次女ががんばって追いかける。ぼくはしんがりだ。妻と長女との差が広がると悔しいのだろう「待って」と次女が悲しそうな声を発する。

トンネルをくぐる。楽しそうだ。その先にもうひとつの公園がある。「行く?」と妻がいうと娘たちは「うん」といって向かう。もうご近所の子と遊ぶことは頭から消えたらしい。大人が居酒屋でやるように、子どもは公園をはしごするのだな。

もう一つの公園はよりだだっ広く、氷鬼に適している。じゃんけんをして妻が鬼になり、4人で開始。妻の脚力ではにっちもさっちも全員をしとめることができず、そこそこ走ってから「むりだね」と強制終了。次にぼくが鬼となり、縦横無尽に駆け回ったあげく、全員を捕まえる。ほどよく運動したし、陽も傾いてきたのでそれで一区切り。再び帰ることになる。公園には息子の友人たちもたむろしていて「今日、スキーやろ」と声をかけてくる。次女がいつも可愛がっている保育園の小さい子もいて、やはり優しくしている。次女が枝を持って帰ろうとするあたりは昔の息子にそっくりだ。長女が自転車でわざわざ雪の塊の上を行こうとしたり、凸凹している枯れ葉道を行こうとするのもやはり、小さかったころの息子を思い出す。

帰路で次女はつかれたのだろう、だんだん機嫌が悪くなる。「ママ、先に行かないで。抜かさないで」と取り締まりが厳しくなるのに現れている。自転車が倒れて起き上がらせるのも難儀して「やって」という。でも自分でやらせる。坂道も自転車から降りて自分の自転車を引きずりながら坂を一歩一歩上がる。長女は妻より先に行き、難なく坂をクリアしている。

「喉が乾いた」ということで、学童のところに寄り道して「さらっとしぼったオレンジ」を自動販売機で買ってみんなで飲む。長女が小学校1年までやり、また次女が保育園で今年度やっているサッカー教室をしている声がする。

ぼくが「さらしぼ」を追加で買うと自動販売機に向かおうとすると「コインいれたい」と次女も着いてくる。100円玉硬貨を2枚握りしめ、「ジュースは150円だったのにな。買えるかな」とぶつぶついっている。

「おつりがくるのかな」と自分で気づいている。

大人にとって、自動販売機まで行ってジュースを買うというのはパシリにあるようにたんなる面倒くさい作業である。新たな気づきがないからだ。でも次女にとっては新鮮な発見がある楽しい行為なのだ。たとえば、100円玉を2枚いれたのに1枚が返ってきてしまい、ランプがつかない。「ん?」となって止まる。

「コイン、1枚落ちてきてるよ」と教えてあげると「ほんとだ」と声をだして、救い出してまた入れる。これはさっきなかったことなのだろう。

子どもには「面倒くさい」がない。なんでも新しく、面白いのだ。うらやましい。いや、大人は分かったつもりになり、気づく感度が薄れてしまい、十把一絡げにまとめて世界をみて、いろんな差異を見逃しているのだ。次女のひたむきさをみて反省する。

コインがおつりででてきた。「5円しかない」と怪訝な声を出すが「50円玉だよ」と指摘したら「そうか」と落ち着いた。

 

さらしぼとチョコを口に入れたあと、また自転車にまたがり、4台は並んで走り出す。そしてなんとか家までたどり着いた。妻とたくさん褒めてあげる。

「誓ったから、ちゃんとがんばったね。」

ぼくもここまで手がかからずやりきったことが意外であった。この夏は登山に全員でいけるかな。

夜は手作りチョコを作っていた。友だちにあげるそうだ。「パパにもあげる」と長女がいってくれる。

娘たちと過ごした土曜日はとても穏やかで、楽しかった。一生懸命、楽しそうに氷鬼で公園を走る彼女たち。実に微笑ましいし、まだまだそばにいて思い出をつくりたい。

一方で夕食時、息子がいないとどこか食卓はスカスカで物足りない。前にも書いたかもしれないが、人生の先輩が「中学からの6年間はあっという間」といっていた。確かに家にいる時間も短くなり、会話も減り、自分で何事も解決するようになれば親の出番がない。今日、娘たちと妻たちと出掛けても、息子がいないことが少しさみしくもあった。娘たちをみて、どうしても息子との思い出が胸にこみ上げてくるからである。そして、その時間はもう来ない。彼はいよいよ初期の子育てを卒業したのである。仕方のない、歓迎すべき成長だと分かっていても、やはり切ないものである。勉強を教えることももうないし、接点は今後送り迎えくらい。まあ、自由に自分のやりたいようにやればよい。ただでさえ中学は校則が厳しく縛られ、宿題はじめ、やることもいろいろ強制されるそうだ。昨日出会った方は中学1年のご子息がいて、中学校は「従順なイエスマンを育てる工場みたい。あんなんじゃ自主性は育たない」と嘆いていた。それは困る。家は緊張感をほぐすくつろぎの場となって、しなやかさを育むようにしなくてはいけない。好奇心としなやかな感性を養うこと。それを一番大事なことととして、これまでいろんなことを体験させてきた。これからは親が直接関わるのではなく、彼が自分で感じ、考え、主として社会で育たなくてはならない。もう手綱は外れる。たとえ、中学が窮屈な場でも、これまでの体験を糧に、元気に生き生きと、日々を楽しみながら中学生を満喫してほしい。