ロースカツ弁当

息子を塾に迎える。遅い時間なので彼はファミレスにいけなかった。いつものハンバーグを食べたかったそうだ。ならばせめてハンバーグ弁当を食べさせてあげようとお弁当屋に立ち寄る。車にそのままいるかとおもったら「おれもおりる」といって一緒に店内に。案の定、メニュー表の前で何がベストかじっくり長考する。ぼくなんかはいつも唐揚げとチキン南蛮弁当の一択で他の選択肢を考えないのでその姿勢に共感はできないが理解はしてあげたいので隣の待合の椅子に座ってじっくり待つ。後から店内に入ってきた人に次々抜かされる。仕事帰りなのか、夜分遅くでも買いに来る人が沢山いるのだな。カップルやオジサン、オバサン様々である。

息子は考えたあげく「ロースカツ弁当」にした。ハンバーグではなかった。ひと席開けて座り、一緒に待つ。間にカウンターの上にロースカツ弁当の写真の看板がデカデカとあって、それが随分色あせていて全体が黄色がかっていて判然としない。それをぼくの肩を叩いて指摘してくる。会話はそのくらいである。

家に帰ってロースカツ弁当を平らげたものの「まだ食べられたな」と食パンを食べていた。

メニューをじっくり選ぶ姿勢を理解しようとするのには理由がある。ぼくの尊敬する建築家、香山先生も千葉先生もご飯をご一緒させていただいたときそうなさる印象があるからだ。飲み物も食べ物も。決められた中でその時のベストを選択する姿勢。そういうところにも「建築家」が現れているように勝手ながら惚れ惚れしている。ぼくのように安易な即断をしない。ちなみに建築家になった同級生の杉下くんもまた、学生の頃からそうだった。ファミレスにおいても手を抜かなかった。ハンバーグがホワイトソースか目玉焼きかもじっくり検討していた。もうひとりの友人は「杉下が選ぶものが間違いないからそれと一緒にする」といっていた。息子は建築に興味はなかろうが、歓迎すべき姿勢なのだ。最後は決めるから優柔不断ではないのだろう。いちいち時間はかかるけど。