読書めも〜『変われ!東京 自由で、ゆるくて、閉じない都市』

『変われ!東京 自由で、ゆるくて、閉じない都市』(隈研吾・清野由美/集英社新書/2020)を読んだ。

 

軽くて、柔軟で、前向きで、エネルギッシュな語り口。スーッと入ってくるのだけど、半分くらいは共感し、半分くらいはもやもや消化不良でひっかかる。

建築に興味ないが新しいもの好きで箔をつけたい全国の政治家や経営者たちはイチコロなのがよくわかる。思っていたことをいってくれるはずだ。小さな活動に寄り添い、可能性を摘まない。血気盛んな若者もその下に集いたくなるだろう。終身雇用と年功序列さらには住宅ローンによる逃げ道のないサラリーマン的人生が日本の都市や街をつまらなくしている病巣だと槍玉にあげている。サラリーマン的な生き方は楽しくないし最低だよね、というわけでだ。日本でもっとも生産性が低く、閉塞感がある組織にいる身として納得がいくし身につまされる。

アーティスティックでアイコニックな建築家像を否定しつつ、でもご自身も権力とそれに群がるミーハー気質を利用してらっしゃるわけで、これからその存在自体も軽くて無色透明になったらすごいのだけど、そこまではないものねだりなのかもしれない。自由に好きなようにやるために産官学いずれの権力にも信頼を得て入り込める。それだけでもすごい。

建築家の創造性には二通りある。特殊解をつくるタイプと普遍解をつくるタイプ。きれいには分けられない。むしろ最初は特殊解だったもののうち一部が普遍解になるという流れなのかもしれない。大雑把にいえば前者の代表はアーティストで、後者の代表はサラリーマン。後者にどう働きかけるかが創造性の勝負なのだろう。そうでないと、仮想敵にされどもサラリーマンが結局マジョリティでいつづけてしまう、崩壊するその日まで。ここで語られた内容は、どちらに属するのだろう。いずれにせよ、こういう影響力のある方が問題を浮き彫りにしてくれることはいいことだ。

豊島区の再開発は勉強になった。「文化」はもちろん大事なのだけど、その言葉を使うのは最近抵抗が出てきた。何かと便利で都合のいい言葉だし、文化人といわれるひとたちの特殊性が鼻につくようになった。むしろ浪漫という言葉のほうがしっくりきている。文化がある街より、浪漫のある街の方が住む人が楽しそうなかんじがする。