読書めも〜『香山壽夫の炉辺暖炉−建築は人の心の共同の喜び』

<香山壽夫の炉辺暖炉−建築は人の心の共同の喜び/香山壽夫/建築ジャーナル/2020>

・しかし、そのことに加えて、建築の喜びには、もうひとつ、大切なことがある。それはその喜びが、たとえ自分ひとりの心の中から出発したものであるにせよ、その出来上ったものが、人の心に与える喜びは、自分ひとりのものではなく、皆の、共通の喜びとなるところにあります。

・建築の仕事は、人間の共通の喜びをかたちにする芸術なのです。

・それは共に働く、共に仕事をする。そのことに熱中した、その仕事を共に楽しんだ、ということです。人間とは、そういう生きものなんだ。

・建築の美しさ、喜びは、このような日常の生活と共にある。

・しかし、芯・中心のない熱狂は続かない。

・二百年経った開拓時代の建物が周囲にいくつも残っていて、そこにあたり前のように人が住んでいる。これこそ、本当の歴史というものであり、文化というものではないか。

・そして学生が問い、カーンが答える。それが終わりなく続いていく。

・変化は連続の中で、連続性を保ちつつ行われねばならない。文化も同じだと私は思います。

・絶えざる見直し、とらえ直しの中で、新たに生き返っていくものこそ、本当の伝統というものではないか。

・子どものとき、屋根に上ることは心躍ることでしたね。禁を破る愉快さの上に、遠くが見える。下を見下す楽しさが加わる。

・面白かろうということでやってみた、ということだとしか思えない。

・それは、太古の昔から、人間は移動・交流を繰り返してきた生物だということです。

・放浪願望と定着願望は、ふたつの別々なものではなく、同じものの両面なのです。

・建築という世界は、この故郷の家をつくることの側にある。

・人は、まず集まるのです。集まる時は、集まるべき理由、すなわちその中心が存在している。

・人間にも良い人、悪い人があるように、壁にも良い壁、悪い壁があるでしょう。しかし、それは壁自体の責任ではなく、そのように壁をつくり、壁を使う人間が悪いので、壁に罪を着せるのは間違いです。

・一度人の精神の生み出した理想は、時に時代の表になり、時に底に沈みながらも、連綿と続くものであるに違いないでしょう。

・建築は、社会的な仕事です。多くの人のために、そして多くの人に支えられて、はじめて行える仕事ですから、そのやり方は、多くに理解される言葉で説明される必要があります。

・一般の人も、建築を面白いと思うようになることが、建築を良くし、都市を良くしていく基本だと思うからです。

・基本をトレーニングする姿勢、たとえば文章の書き方、話し方についても、アメリカはしっかりしていて、日本にそれがない。

・自分のできる基本、その原点からやるしかない。

・その基本とは何か。連続性です。

・人間は連続の中に不連続、すなわち日常の中に、非日常を組み込む方法を工夫した。お祭りや冠婚葬祭の儀礼といったものがそれです。

・毎日をお祭りにし、都市全体を馬鹿騒ぎの場にし、それが常に更新されねばならぬと考える。芸術とはそういうものだという観念が一般化したのが現代です。批評家も、そういうものだけを芸術としてもてはやすのが今日です。日常を連続させる芸術もあったはずです。特に、建築とはそういう芸術・技術だったんではないでしょうか。

・真剣に、全力で生きている人にとっては、一日一日が特別でしょう。

・あたり前のなかに、まったく新しいものが光っていたり、反対にあたり前でないことをねらったつもりのものが、実は、まったく凡庸なものだったりもする。あたり前のことをただあたり前にやり過ごすか、あたり前のことからあたり前でないことを見出し引き出すか。この違いがあるのじゃないですか。そこが肝心な点だと僕は思っています。

・それぞれの地域・地方・あるいは共同体で、地道に力を尽くしている人たちもいます。そういう人たちに出会うと、建築をやっていることの真の喜びが与えられます。