読書メモ〜『100年の難問はなぜ解けたのか−天才数学者の光と影』

<100年の難問はなぜ解けたのか−天才数学者の光と影/春日真人/NHK出版/2005>

 

・「幼い頃は、自分のやりたいことをやって世界を体験し、色々なオモチャに触れることが重要だと思います。大人が言葉にしたり説明できることは、子どもが身をもって体験することに比べれば、極めて限られています。子どもに教え込もうとするのは間違っています。質問に答えるのは大切ですが、細かいノウハウ、例えば掛け算を教えるなんてことは重要ではありません」(ウィリアム・サーストン博士)


・「数学の本質とは、世界をどういう視点で見るかということに尽きます。数学的な考え方を学べば、日常はまったく違って見えてきます。文字どおりの『見る』、つまり網膜に映るという意味ではありません。学ぶことによって見えてくるという意味です。
 新しい言葉を学ぶと、それまでその言葉にまったく出会ったことがないのに、次の日に出会ったりして不思議に感じます。それと同じことです。物事を習うことは、物事を見ることです。あなたにとっては、もう幾何やトポロジーは生活のいたるところにあるはずです」(ウィリアム・サーストン博士)

・「いまやこの地球上では、まったく未開拓だと思われる場所はだいぶ少なくなってきました。でも頭の中の知的世界には、何の制限もありません。未知なるものは無限にあるのです」(ジム・カールソン博士)

・「人間の業績を評価する場合、純粋性は大切です。なぜなら、数学、芸術、科学、何においても、堕落が生じれば消滅の途をたどってしまうからです。私たちの社会も、倫理の純粋性が一定のレベルで存在しなければ崩壊するでしょう。意識する、しないに関係なく、数学は何よりも純粋性に依存する学問です。」(ミハイル・グロモフ博士)

・「数学の魅力は、謎を解くときの興奮そのものです。例えば、子どもにとっては世界のすべてが謎に映ります。手足を動かしては、不思議なことを体験し、食事をすれば、味とはいったいなんだろうかと考えます。普通の人は大人になるに連れ、そうした好奇心を失いますが、謎への興味を絶やさなければ、その人は宗教家になれるかも知れませんし、芸術家になれるかもしれません。難問に挑む数学者も、そういう人たちの中から生まれるのです」(ミハイル・グロモフ博士)

 なんとペレリマン博士は、トポロジーの象徴と見なされてきた世紀の難問を、かつてトポロジーが古くさいものとして退けた「微分幾何学」の最新知識を駆使して解き明かしていったのである。さらに証明には、「エネルギー」、「エントロピー」、「温度」などの言葉が頻繁に登場した。
 ペレリマン博士は、高校時代に育んだ物理学の延長線上にある熱力学の世界にまで立ち入って、難問に挑んでいたのである。
 それは、トポロジーこそ数学の王者であると信じてきた研究者にとって、とてつもない衝撃だった。