ふたつのロウソク

墓参りにいってきた。メルも連れていってみた。お墓の周りは芝生のグラウンドゴルフ場で、メルには絶好な場所がある。駐車場からお墓まで階段を登り、その芝生ゾーンを越えて100メートルほどある。ペタペタとぼくら5人にちゃんと着いてくる。実に愛らしい。階段も15センチくらいの段差があるが、片足でのぼれていた。側溝も手前で立ち止まり、しばらくしてピョンっとジャンプする。仕草の一つ一つが微笑ましい。ぼくら家族で囲みながらいわゆる護送船団方式であるいていく。お墓についてもぼくらが合掌しているあいだチョコンと立っていたり、角にクチバシを這わせて虫を探したりおとなしい。長女が「みて、メルちゃんだよ」とお墓にむかってひいおじいちゃんとひいおばあちゃんに語りかけている。お花を立ててロウソクに火をつけて線香をたく。何回も来ているので一連のことはこの子たちはもう分かってくれている。祈ることも、心を静かに落ち着けるために欠かせない行為になってくれているとうれしい。

帰り道に決まりの焼きまんじゅうを買いに行く。みんなたくさん食べるということで23個買う。さらに昔お寺のあった敷地をよって、ぼくの小さな頃の通学路を通りながら我が家に戻る。片道約40分くらいのドライブである。道中でアニメ版の『ぼくらの7日間戦争』を見る。息子が特に喜んでいる。

家に帰ったらすぐ娘たちは妻とスイミングに行った。息子も自転車で英語にむかう。雨になるかもしれないと忠告したが、今は降っていないからと自転車で向かった。よっぽど乗りたかったのだろう。

ぼくもスイミングを見に行こうとして車を出し坂を下る。雨が降ってくる。息子は雨を避けてついただろうか。と思っていたところで、息子がこっちにむかって自転車で坂を登っている。英語はもう始まった時間だし、逆方向である。でもあのヘルメットと服は確実なので、車の窓をあけて運転しながら名前を呼んで、急遽車を息子の手前に寄せて停車させる。

「今日じゃなかったって」

英語は明日だったという。雨なので自転車をトランクにつみ、息子を車に乗せたら時間はすでにスイミングが終わる頃になっていたので、あきらめて家に戻る。

晩ごはんの後、ホールケーキを出す。昨日できなかったお祝い。長女がやはりむくれはじめる。マリリンモンローの『ハッピーバースデー』の動画を見せてみたら、物珍しいらしくそこで機嫌が戻る。ロウソクを立てて火をつけて、また歌って写真を撮る。次女はゆっくり惜しむように一本ずつ息を吹きかける。長女がケーキのクリームを一つ残らずなめるので、はいおばあちゃんにそっくりだと伝える。

 

次女の誕生日はお盆に近いので、毎年大きくなっても子どもたちはお盆に帰省して次女の誕生日を祝うことにしようと提案する。家の前の空き地をそのうち買うから、そこに家をたてて住んでいいぞと提案する。「おじいちゃん、おばあちゃんになっても、近くに住みたい人」と募集をかける。子どもたちのリアクションは薄かった。次女は「どういう意味?」と聞き返し、説明すると「はい。近くがいい」と手を上げてくれた。長女は「そのころ、パパとママはここに住んでなくて、京都にいるかもよ」と予言めいたことをいう。

 

「父ちゃん、老人なったらどこで寝てるんだろうね。」と息子。段差ばかりのこの家。不思議に思うのも無理はない。

 

20年もしたらこの界隈には子どもはいなくなって、もしも住んで、子どもができたら、この街の、その頃には老人になったみんなが歓迎するぞといっても、今は子どもだらけのこと界隈、まったく長女には想像がついてないらしい。「あの子いるじゃん」と今の小さい子の名前を立て続けにいうが、その子たちがその頃は20歳を越えていることを分かってない。説明したら「そうなんだ」といっていた。

考えたら老人ばかりになる。大丈夫かな。

 

寝る前和室で歯を磨きながら横になっているとふと「パパ、会いたい人だれ?」と次女。母の話をする。

「マリリンちゃんに会いたい」と長女。マリリンとは小さい頃ぼくが飼っていた犬で、寂しがりやだった。家族が家を出て独りになるとき、いつも悲しい声を出してないた。ぼくがしたその鳴き真似を長女が覚えていた。メルがマリリンの生まれ変わりかもね、とぼくが呟く。

「生まれかわりって、なぁに?」と次女。

説明をすると、次女は「生まれ変わっても家族変わってほしくない」と親冥利に尽きることを言ってくれる。

 

今日も平和な一日で過ごせた。何よりだ。壁には「おたんじょうびおめでとう」という文字と、ケーキの絵の2枚が新しく飾られた。長女が描いた。色づけは次女が指示していた。

今日は息子マッサージ、11回ポキポキなった。