弔い

何度か書いているように、息子が東京からこっちに越してきて最初の友だちは保育園のヤギであった。そのヤギが亡くなり、園庭の山にお墓がある。

ふと息子に「手を合わせにいったか」と聞いたら、「自転車で回っとるとき、合わせとるよ」と返ってきた。何もいわずともそんな殊勝なことをしてたとは。行ってないのはぼくだけであった。

 

図書館で借りてきた本『ゾウ』を妻が娘たちに読んだ。次女が「ゾウって、たいてい60歳くらいで死ぬねんて。そして、死んだら、仲間が近くにいて、草とかかけてあげるんやって」と教えてくれた。よっぽど印象深かったのだろう。象も仲間を弔うことを知る。

一方の長女。

「記憶力がすごくて、砂漠で見つけた水飲み場、ずっと昔でもおぼえとるんやって」

さらに次女。

「ゾウって、五回歯が抜け変わるんだって」

「よく数えたね」とぼく。

「5回目の歯が弱って、ものがたべられなくなって死んじゃうんだって」

「歯医者さんいたらいいのにね」

 

気分転換のサイクリングはすっかり息子になくてはならない日常になった。昨日家の前を近所の人だろうか、身なりもバッチリのロードバイクが疾走していき、それをみた息子は「かっこいいー」と目を輝かせていた。