夏庭とツボツボ

庭の二十日大根がほんとうに二十日くらいでできて、ポン酢で食べた。実においしい。朝顔もツルがついに出てきた。プチトマトも熟れてきてもうすぐ食べられそうである。ズッキーニは細いまんまだ。

長女の口から聞きなれない友だちの名前を聞くようになった。同じクラスで仲のいい女の子グループができた模様。休み時間も運動場を使ってもいいことになり、鬼ごっこをしたりしているそうだ。学校でいやなことも特にないらしい。宿題の日記で鴨がうちに来たことを書いた。でも先生は他のところに線を引いて丸をして、そこに丸とコメントがなかったのが物足りないとぶつぶついっている。

「先生も、鴨かってるから普通なんじゃないの」と妻がムリのあるフォローしている。

長女は庭をよく見ているし、メルの母親のような存在である。長女が宿題で行き詰まったり少しご機嫌斜めなときはメルを連れていくとたいていご機嫌になる。

いろんなことを見てて観察して、気づくようになった。いつもおんなじ格好をしているが、ちょっとでもTシャツを変えると「マラソンいくの?」とか聞いてくる。

寝るときは「ツボツボして」と、長女の背中の背骨をマッサージするのも日課になった。息子にしてもらい、長女にしてやる。たいてい5分くらいしたら寝息になる。

母も成長期の寝るぼくの足をよく揉んで、さすってくれたものだ。熱が出たときは特にそのおかげで落ち着いた。それを思い出して息子がこないだ発熱したときにしてあげたら、やはり落ち着いて寝付いた。母に感謝である。

スキンシップをしながら日々の他愛のない雑談をする。それはお互いの考えを分かるいい機会だし、きっと心に残る。

子どもたちにとっては、「パパなら、こういうだろうな」と推測したり、慮ることができるようになる。いつか、ぼくの存在が近くにいなくなったときに、それが効いてくる。参考にするかしないかは別にして、離れていても、近くにいる感じがするかどうかは、一緒に過ごす間に、一見無駄と思える雑談のキャッチボールをいくつできるかにかかっているのだろう。親からすれば、いま子どもたちの興味がどこにあって、どんな人間関係をおくっているかを垣間見えるし楽しい。雑談ほど、記憶に残るもんだ。その人の感情が込もっているから。

そして、こうして記録しておくことは、我が子がちが大人になって、居を別にして退屈しているとき、きっと助けとなると信じている。