見立て

「ねぇ、この電気、一つずつ、点くの?」(次女)

寝床で寝かしつけのとき。寝床は壁も天井も群青色である。それが空にみえるという。

天井に埋め込まれたダウンライトの照明が二つ。それが点いていれば太陽、消えていれば月なのだという。素直な見立て。いまは消えている。

でも電気をつけると二つとも同時につく。太陽が二つなのはおかしいと想像したのだろう。

ひとつずつは点かないと説明すると、

「二つつくのは、役に立つよね」と返ってきた。その方が便利だと表現したかったのだろう。

「玉ねぎを食べたら病気にならないんだって」と保育園で習った知識を教えてくれる。

「パパ、よく玉ねぎ使ってるから大丈夫だよ。昨日のカルボナーラも。チャーハンとかお味噌汁にもよく使う。」

「あとニンニクもね」

「そう。ニンニクも好きだから。」

 

保育園のヤギが老衰で死んじゃったという知らせ。お墓に埋めて、梅の木を立てたらしい。みんな泣いてて、次女も泣いて手を合わせたという。

息子が6年前、東京からこの保育園に転校したとき、最初に友だちになってくれたのはそのヤギだった。ずっと草をあげていた。ぼくたちにとって保育園を象徴する存在だった。残念だ。

 

「動物は命があるから、いつかは死んでしまう。だから1日1日を大事に生きようね。」とぼく。

「死にたくない」と細い声で怯えていうので、まだまだ100年くらいあるよと安心させながら、事故に気をつけること、健康でいることを約束。そしたら上の玉ねぎの話を持ち出した。

 

ひ孫の顔を見て欲しいといってくれる。長生きせねば。