有限の日々

夕食時はご飯を食べながらか、あるいは食べ終わってからiPadをさわったり、Vジャンプを読んだり、本を読んだりして、黙々と寛ぐ息子の姿が食卓にある。大きな窓がある壁を背にした東側の場所。定位置である。

毎日みる見慣れた光景だが、ふと、もしあと7年後、大学なりで一人暮らしを始めていたら、この光景はもうないことに気づく。一度家を出たら、もう戻ってくることも普通はないだろう。彼がこの家にいる期間は有限なのである。

いろいろ怒ることもあるが、バカらしくなってくる。この家にいる間、リラックスして、平和に、穏やかな気持ちで過ごしてくれることが最優先だ。ぼくら親にとっても、怒っている思い出ばかりを残したくはない。子どもが家にいて、話をしてくれることのありがたみを感じながら、いい思い出を一日でも多く残すべきなのだ。そのあたたかい思い出が、老後に子どもたちが大人になってこの家を出た後も、暖炉のように心を温めるはずだ。

この気付きを妻に話したら、ぼくが話終わる前に瞬時に涙腺が決壊していた。ものの数秒で涙が溢れていた。面白いから、夕食時息子にその話をした。横で聞いてた長女が「家を出ていかなくてもいいんでしょ。私はずっといるもん」と主張していた。

ついでに、息子が大学なりで何に興味持つかを話したら、結局いまはこれといって何もないらしい。テニスプレーヤーになる、の一点張り。