パパ不在

昨日はぼくがバスケに行っている間、子どもたち3人とも号泣するような、悲しいことがおきた。ぼくのバスケが2ヶ月ぶりで張り切っていることを知っている息子が「パパに電話する?」といった妻を制して、「いま父ちゃんに連絡したら、悲しくてバスケ楽しめなくなるから、帰ってきてから伝えればいい」と言い出し、子どもたち3人でそう決めたという。実にすばらしい配慮である。深い悲しみの中、他者の気持ちを慮る子に育ってくれている出来事であった。

そして子どもどおし、互いを責めることもなく、誰かのせいにしようとすることもなかった。むしろ息子は謝りながら泣きじゃくる次女に「悪くない」と慰めたそうだ。長女は「パパが『夕日をみればいい』といっていた」と思い出して、みんなで夕日を見に行ったそうだ。

おかげでパスケは満喫できた。帰ってきて、生きていれば悲しいこともあること、そのときは家族で分かち合って乗り切ること、生きていることのありがたみをかみしめながら一日一日を大切に過ごすことなどを話す。パパに優しい配慮ができたこと、他人を責めなかったことも褒める。子どもたちが思慮深く育ってくれていることが分かったことは、まことに嬉しいことで、それ以上何をこの子たちに求めようかという気持ちになる。