芸を磨け

昨日書いたことの、仕事についての続き。

 心を動かしたり、心に残る仕事をするには、「芸」を磨くことが大事だと思う。

 芸は何も芸人さんとか芸術家だけのためではない。もちろんその方々も心を動かすことを生業としているので目立つけど、どんな職業であれ、だれだって仕事に携われば何かしらの「芸」を身につける。ある人は話芸だったり、またある人は手芸のように。

 芸は技術とは似て非なるものだ。技術は生活をより便利にするために、不可逆な進歩をする。例えば刀から鉄砲、馬車から車、井戸から上水道、手紙からメールのように、挙げればきりがない。多くの人にとってメジャーだった技術は、一度その地位を新しい技術に明け渡してしまうと、その地位に戻らない。レコードのように、一部の愛着のある人がなおも使いつづけることはある。そういうのはやがて「レガシー」と呼ばれながら、ファンの間で残る。それはそれで素晴らしいし、パパは最先端の技術よりレガシーが好きだ。それでも、全体としてみたら、技術は中心がどんどん一方向に動いていく。進歩や発展という言葉がぴったりくる。

 一方で芸はもちろん何かしらの技に支えられてはいるものの、時代が進んだからといって、よくなるとは限らない。昔のものだって、すごいものはすごいし、かなわない。小津安二郎の『東京物語』、立川談志の『芝浜』、夏目漱石の『こころ』。いいものは、確固たる芸に支えられ、そしてどんな時代だって人を感動させる。

 こうもいえる。技術は人間の変わる部分のためにある。それはそれで必要だ。生活は快適になるし、苦役から解放されるし、多くの人を助ける。芸は逆に、人間の変わらないものに寄り添いつづける。

 芸は勘を養う。何度も何度も繰り返しやって経験を積むことで、感覚が研ぎ澄まされてその人にしか感じ取れない「何か」が見えてくる。芸を備えると、直感的に「なんか違う」とか「なんかへん」と気づくようになる。スポーツ選手とか、わかりやすい例かもしれない。「おかしい」とまず気づき、どうなったら良くなるかを考えて、自分が「いい」と思うところまで努力して高めていく。戦略や練習の質より、ただただ同じ練習を繰り返すこと、それが一番大事で、近道だったりする。実にシンプルだ。

 やがてそれが形になって、認知されるようになって、多くの人がはじめて「そういうことだったのか」と伝わり、理解され、称賛される。人からは「洞察力」や「先見の明」があると表現されることもある。いつしか、人からお願いされ、頼られるようになる。それがプロだ。

 「芸は身を助ける」とはよくいったものだ。だけど、プログラミング教育しかり、今の教育観は「技術」ばかりに目がいっている。どこか胡散臭い。経済的な成長や技術的な進歩を最優先する価値観が20世紀は跋扈した。その教育を受けた大人が今の制度をつくっているからそうなる。

 それらが必要ないとは言わない。だけど、全てではないし、世界はそんな単純じゃない。どこかが成長したら、どこかで歪みを生んでいる。成長や進歩で、万事をよくすることはできないことが21世紀になって、より深刻に次々と露見された。天災や疫病のように、人類がとうてい太刀打ちできず、コントロールできない脅威がなおもあることも。

 いいこともあれば、わるいこともある。誰かの幸せは、誰かの不幸だったりする。そんな「清濁合わせ飲む」ことを前提として、どう均衡を保ち、乗り越えていくか。君たち以降の世代が取り組まなきゃいけない課題はぼくたちの世代よりもずっと複雑で、誰も正解がわからない。むしろ、正解などない。

 そんな状況で、ではどうしたらいいのか。問題の答えを出す技術を磨くより、わからないものを捉え、夢中になれること、それを見つけることの方が大事だと思う。わからない。わかりたい。だから繰り返し鍛錬する。そしてもっとわからなくなる。そうやって芸は磨かれる。これからは、何が問いか、それがわかれば、最適な答えを出すのはもはや人間の役割ではなく、AIがやってくれる、という人もいる。

 でも、結局は人間にとっての普遍的な問いなんて、すごくシンプルだし、いくつかしかない。嬉しいと笑い、悲しいと泣く。腹が減って、美味しいものが食べたくて、そよ風は心地よく、木陰が気持ち良い。家族や友人、仲間と一緒に時間を過ごす。そんな人間のベーシックなところは、たぶん何万年も変わらなっていないんだから。そして、そのどんな日常においても、「芸」は繰り返し重宝されてきたはずだ。

 でも、誤解しないでほしい。「変わらないなら、何もしないでいい」ということでは断じてない。「今が十分幸せだ」とか「日本は素晴らしい」から「このままでいいんだ」と、満たされていることを押し付け、変化を拒絶する大人もいる。パパはそういう大人とは心からは仲良くなれない。それは思考停止で、変化に対応しない言い訳でしかないから。

 人間は死に向かって、日々変化している。色即是空だ。それが真実だからこそ、変わらないこともまた、意味を持ち、輝く。現状維持なぞ幻想でしかない。現在の状況のいいところを捉え、それを喜び、楽しむことは大切だ。だけど、その「いいこと」は儚い。明日も喜んでいるためには、努力し、どうすれば明日がもっとよくなるか、どうしたら周りの人ともっと喜びを分かち合えるか考え抜かなければならない。不断の努力と絶え間ない鍛錬がないと、「いいこと」は続かず、消えて逃げていくんだ。

 まじめに、変化を前提としつつ、一方で変化しないことも大事にしながら、がんばって手と頭を動かさなきゃいけない。しんどいと思うかもしれないけど、大丈夫だ。人間は同じことが嫌いで必ず欲望は「渇く」ようにできているし、じっとしているほうが辛い。ぼくたちの身体はそういうふうにできている。そして、がんばることは楽しいし、その先には充足感があって、もっとがんばりたいと思う。そのようにちゃんとプログラムされている。

 どんな時代だって心を動かす人は感謝される。どんなのでもいい、そのための芸を身につけることを意識してごらん。よい芸は変化しないものに寄り添いつつ、変化するものに向き合う、その「はざま」に芽を出している。きっと君たちの時代でも、突破口を与えてくれるはずだと、パパは思います。