仕事と心

yotuberがなりたい職業として定着しているけど、それって新しい職業かというと全くそうではなくて、かつてテレビマンに憧れたように、コンテンツを作って世界で影響力をもってお金を稼ぎたいという欲望に基づいている点で、根っこは一緒なんだとおもうのだな。そのマインド自体は新しくもなんともない。もし、大企業のサラリーマンよりフリーランスがいいやという点ならちょっと新しいかもしれない。でも、それならyoutuber以外の独立系の職業にあこがれてもいいものだ。

仕事の価値を測る上で、影響力というものはわかりやすい。数で計測した気になれるもの。かつての視聴率だったり、いまのビュー数だったり。売上だったり。比較もしやすい。

でも、それだけで仕事の価値を評価するのは短絡的だから気をつけたほうがいい。そこには時間の尺度をないがしろにしていて、瞬間風速にとらわれがち。一年たったら忘れられている、心に残らないものばかりだったりする。もちろん何十年も愛されるものも中にはあるし、全ては否定しないけど。

むしろ古さを感じるのは、光があたるのはほんの一握りという構造だ。昭和のマスメディアからはじまる構造的なものだし、ビジネスとしても効率がよい。厳しい競争を勝ち抜いてほんの一握りになれた人のストイックさやプロ意識や技術が卓越してることはあれど、そうじゃない人がそれより劣っているかというとそうも言い切れない。それは一部が勝つように敢えて世界に偏って、歪ませてできた構造ともいえる。

 

いま、距離と効率の概念が、覆ってきている。

これからは「自分にあった自分だけの一流をみつける」という、1on1でインタラクティブな、ほんらいの自然な形に戻っていくはずだ。

 

多くの人に届かなくたって、一人の人が愛着をもって、一生のうちに何度も味わいたくなるもの、日常に溶け込んだそんな愛で方をされるものも、いやそんなものこそ、ほんとうの傑作だとパパは思う。有名無名は関係ない。心の奥底に響くかどうか。

子どもたちにはぜひ仕事の価値を測るものさしに「時間」という目盛りをもってほしい。自分の仕事が生きているうちは評価されなくたって、後世で評価される。お金にはなかなか返ってこないけど、そういう英雄だってたくさんいる。目に見えるものばかりに囚われず、惑わされず、ぶれずに自分の役に立ちたいという思いと、得意なこと、好きなことにまっすぐに向き合って判断してほしい。周りに耳を傾けつつ(ひつこいけど目ではない)、目を閉じて最後は自分に問いかけるんだ。