職権消除

認知症の母が失踪して、10年半くらいになる。給付金の話がでて、彼女の住民票がどこにあるのか気になった。いつのまにか離婚の手続きを終えていた父に連絡をしたら「まったく知らない」とつれない返事。そこで本籍地の役所に行った。

別に10万円をもらおうという意図ではない。でも、彼女宛に手続きの書類が郵送されるのがもし本籍の住所なら、そこに家などないし、その土地もすでに市のものになってしまっている。事前に整理しておきたい。

 

役所にいくと、相談窓口の人は手に負えない案件。そうだろう。「お待ち下さい」と奥に相談にいっている。

相談されていた初老の女性が出てきて、表向きは丁寧に、だけど本音は面倒なことにならないように気を使っているだけの事務的な返事がきた。

「ご本人でないと、住民票は発行できません。」

「そうなのでしょうけど、その本人がどこにいるか不明のとき、どうしたらいいんでしょうか。」

「直系のご親族なら、戸籍の附票というのなら発行できます。そこに、住所も記載あるかと。」

「では、それで。」

しばらく待つと、母の戸籍が発行された。

「こちらには、もう本籍の記載だけで、住民票は存在しないことになっています。」

住所の欄に横線が引っ張ってある。小さいフォントでその横に「職権消除」と書いてある。みたことがない言葉だが、正式に何やら「消されている」ことはわかった。

「んじゃ、もう母は国民の一人ではないんですか。」

「そうなりますね」

失踪中である以上、納税者になることもない。至極まっとうな手続きだ。だけど、死んだわけでもないのに、国民でなくなることがあるのか。父がそういう手続きをどこかでしたのかもしれないが、もはや聞く気にもならない。

うすうす分かってはいた。スッキリした気分になると同時に、いざ現実をつきつけられるとズシンとくるものがある。これから、身辺情報として、母は存命と書くべきなのかどうか迷う。だから、今夜は一人でやけ酒を飲んでいる。

家に帰ると、一番に関心をもって「どうだった?」と息子が駆け寄ってきた。カクカクジカジカ説明すると憮然とした表情になり、「んじゃ、もし見つかったらどうなるん?」と全うな反応だ。実に頼もしい。母には我が子で彼だけが会ったことがある。1歳のときに抱っこされた。母は嬉しそうだった。

別に、昨日と今日で状況は変わったわけじゃない。役所での状況を知っただけだ。だけど、やはり母を思わずにはいられないのである。会いたい。孫をみてもらいたい。それが叶わないから、明日からまた子どもたちに母から受けた愛を返すつもりで、子どもに愛を注ぐのである。返しきることはできないが、母がいなくなったその日から、それがぼくの最もやらなくてはいけないライフワークなのである。子どもたちが大きくなったときに、分かってくれればよい。ぼくがなぜここまで育児を優先させたか。それは、君たちのおばあちゃんが、それだけ偉大だったから。尋常ではない家庭内暴力に苛まれた我が家系の哀しみは、責任持ってぼくの世代で絶やすから、君たちは何の迷いなく、幸せな家庭を築けばよい。それでも母は言っていた。「お父さんを敬いなさい」と。だから、それもぼくは従うのである。他ならぬ母の言葉だから。