寝床で。次女から「なんで仕事したらお金もらえるの」という質問から始まり、仕事とお手伝いの違いとか、ものをもらうときにお金をもらうときとそうでないときの違いとか、どんどん深みにはまっていく。
「『ありがとう』といわれるときに、お金をもらえるのが仕事、とうでないのがお手伝い。」
そのほかにも、親が子どもに「お金ちょうだい」とはいわないのはなんでか、など。
「そうなんだ」
「『ありがとう』ってたくさんいわれたらいいよ。そしたらいつか、困ったときに返ってくるよ」
「ぜったい?」
「ぜったいかは、わからないな。」
「ぜったいだといいなぁ」
「お金持ちになりたい。お金持ちは、自由だもん」と次女。
「お金なくても、パパ自由だよ」
「あ、そうだね、家族といるし」
ぼくが家族との時間のために、仕事をセーブしてるのも理解してくれてるのだね。
「でもパパは、ハワイにいけないなぁ。」
「お金持ちなら、ハワイにいけるんでしょ。行きたい」
「そうだね。ハワイにいけないパパ。でも、お金持ちでも、ハワイに行けないひと、いるよ。忙しくて」
「そうなんだ。パパ、家にあるお金全部集めても、ハワイいけない?」
「行けるよ。でも、子どもが学校いくときとかに、それはとってある。そのことのほうが、ハワイ行くより大事だから。」
ふんふんと、納得したようにうなずいている。この子のものわかりのよさには目を見張る。
「お店って、お金いっぱいもってるんでしょ。お店屋さんになりたい」
「でも、お店は売るために買ってるから、出て行くお金もあるんだよ。つくっているお店もあるね、ケーキ屋さんは、自分でつくってるね」
「じゃ、ケーキ屋さんになりたい」
つくるのはそれはそれで出て行くお金あるのだけど、そこまでは説明せず。
自由とは何だ。気がつけばそんな話になっている。
「自由は、やりたいこと自分で決めて、できるひと」と、ひとまず説明。でももっといい説明がある気もする。自信なし。
「自由には、お金と、時間が必要だね。パパはお金ないけど、時間はある」
すると次女。「わたし自由だよ」とキッパリ。
「時間もお金もあるよ」
「そうだ。ここにいたね、自由なひと。もう、なってるじゃん」
「パパも、子どものとき、自由だった?」
「うん、そうだったよ」
将来なんになるか、三つで悩んでるらしい。ひとつはキャビンアテンダント。
「もうひとつは、最初が『に』で、最後が『よ』でおわるもの。なんだ?」
「にんぎょ」
「正解。あとひとつは『か』からはじまって、『ん』でおわるもの、なんだ」
思いつかないので諦めると「カステラ屋さん」だった。
「カステラ大好き。あと、どら焼きも好きだなぁ」
「カステラとどら焼き、両方作って売ってる店、あるよ」
「え?!」
昂った声。興奮している。
「そのお店、いきたい」
パパの頭には、羽田空港の黒船が思い浮かんでいる。いつも出張帰りにカステラをお土産で買って帰るお店。
5歳になると、小さな哲学ができる。いやむしろ、この年齢だからこそ、小さな哲学を楽しめている。