路線バス

今日は二月とは思えない、春のようなうららかな晴天の日であった。息子が将棋大会にいくので、妻と家を先に出て行く。

追っかけて娘たちとぼくが出かけるのだけど、妻から「バスでいったら?」という提案。なるほど。普段は自家用車で街中までいくから、娘たちは路線バスに乗ったことがない。この天気だし、ナイスアイデアだ。

娘たちも楽しみなようで、「バス何時?間に合うかな」と家からソワソワしている。バス停まで歩いて15分。バスの時刻の25分前に家を出る。

おんぶしたり、スキップしたり。ぼくの影を踏みながら歩くというルールを決めて2人でひっついてついてきたり。クネクネ歩くことにすると、影が動くから、キャッキャ喜ぶ。

 

バス停に着くとバスまであと10分。

退屈だといいはじめるから長女はそこらへんを一周走らせる。それで2分つぶせた。

次女には、バス停にある、もうすぐ着くことをしらせるランプを説明。二つ前のバス停につくと、ランプが点滅して教えてくれる。

まだ時間はあるから5分はランプがつかないだろうに、その説明からずっとそのランプを「まだかな」と凝視している。その角度がちょうど朝日が差す方角で、まぶしそうだから、太陽と彼女の顔の間に立って影をつくってやる。

 

長女も隣に座って、やはり暇だというから「目を閉じてごらん」と提案。

「目を閉じるとね、目を開いてたときに気づかなかったこと、気づくよ」

「なんか、風の音が聞こえてきた」と次女。

 

よく言われてることだけど、普段、視覚に頼りすぎている。視覚はもちろん大切だけど、認識する世界が目の見える範囲にとどまってしまうきらいがある。ときどき、目を閉じると、どうだろう。自分が広大な宇宙の中に浮いている気になってくる。

 

そうこうしてるうちに、バスが来た。一番前の、一人座席に長女、通路をはさんで二人がけに次女とぼく。始発で他に客はいない。

新鮮な体験なんだろう、二人とも窓の外の風景をよく見てる。長女は「ひさしぶり」らしい。次女は初めてでしょ、と指摘すると、次女は保育園の遠足のときバスに乗ったから初めてではないと主張。

「おりるとき、このボタンを押すんだよ」と長女。それから次女はそのボタンをいつ押すのかに囚われて、バス停のアナウンスに耳をそばたて、毎回「もう降りる?」と聞いてくる。あと20個くらい先といっても、「次降りる?」と聞いてくる。せっかちなのかな。

長女は大人しいが、ときどき一人なのが心許なくなってくるのだろう、通路をはさんでときどき手を出してくる。一瞬だけ、手を繋いでやる。

 

次が降りるバス停になる。表示がかわると同時に、次女にボタンを押させる。

長女には、小児運賃を渡して、降りるときにどこにコインを投げ入れるか説明する。次女が「わたしもやりたい」というが、彼女の分はフリーである。説明するとほっぺたふくらませながら納得する。

 

バス停について、無事に長女も支払い、運転手さんに「ありがと」を言って下車。たまにはバスもいい。新しい刺激がたくさんあったのだろう、二人とも楽しそうであった。

歩道を手を繋いで、対局中の長男の大会会場にむかう。