「パパよりママの方が年上なんでしょ。でもなんで、パパの方が大きいの?」
「ねえなんで、アマゾンプライムから『コウノドリ』、見れなくなっちゃったの?」
「赤ちゃんって、お腹のなかでどのくらいの大きさだったの?」
「ひいおばあちゃんって、何の病気でなくなったの?」
どれも次女。お風呂から寝かしつけの間。
「アマゾンはアニメやドラマをつくっている会社に、「みんなに見せていい?」ってお願いしているんだ。」と業界の構造を噛み砕いて説明する。
「いつも『いい』っていうの?」実に的確な質問でびっくりする。
「いつも『いい』っていわない。お金が少ないときとか。そのお金が少なかったら、『いつまでね』って決まりをつくるんだ。だから、『コウノトリ』もそうだったんじゃないかな。ほかに面白いものを変わりに見せたりしたんじゃないかな。」
お金が少なくてダメというのにも、わけがある。アニメやドラマを作るのにも、たくさんの人の手がかかっていて、みんな家族もご飯たべなきゃいけないと説明する。ふんふんとうなずきながら聞いている。
「『ドラえもん』、なくなってほしくない。」
永遠に見れるとおもっていたドラえもんが、なくなるかもしれないとわかり、怖くなったらしい。切実だ。
「アマゾンは、見てることしってる。みんながたくさんみてたら、ずっと見せてあげようっと思うはずだよ。」
ひいおばあちゃんの話には寝床でなった。なかなか寝付けなかったようなので、昔、ぼくのおじいちゃん、つまり彼女のひいおじいちゃんが、よくぼくに寝かしつけで昔話をしてくれたと伝えたとき。
「ひいおじいちゃん、昔話得意そうだよね」
昔の人だから、昔話をよく知ってると思ったのか。僧侶だけに、たしかに、豊富だった。戦争に行った話、鮮烈に覚えてる。
おばあちゃんは心臓の病気でなくなったから、心臓のはたらきを説明する。
「ドクドク、ってやつでしょ。」
明日はいよいよ、年中としての最後の大きなイベント、表現会である。何十回も「がんばってね。いつもどおりすればいいから」と励ます。先生から「全部覚えて、完璧です。安心して舞台に送れます」とお墨付きが出ていたナレーションの演技とハンドベルの演奏。楽しみである。