餅つき

学校が企画する5年生の餅つき体験に手伝いとしていってきた。もち米から、蒸して、ついて、加工して。そのための道具類がぜんぶそろい、総勢大人のお手伝いが50名くらいいる。大学からアメフト部の兄ちゃんも助っ人にきている。この企画、圧巻だ。

普段から餅つきをするパパさんたち、何十年も家でやってきたおじいちゃんおばあちゃんたちが主導。加工はちぎってまるめて、あんこやきなこをテキパキこなすママさんたち。

餅つきをしたことないぼくは、来てみたものの、オロオロするだけ。人的資源も不足しているわけではないので、帰っても影響なさそうだ。学校行事の皆勤としてはでもここはいつづけてみようということで、最後までいることにする。PTAのことを立ち話したり、それなりに意味はある。

なんとなく順番を与えてくれて、杵をもってついてみるお手伝い。杵の自然な持ち方は自分はサウスポーらしい。食事のとき以外の左利きを発見。

力んだせいか、一発目を「カン!」と臼にぶつけてしまう。たいそう立派な臼が少しかけてしまって、返す役のおばあちゃんがそれをつまんで餅から放す。「力いれなくていいから、真ん中にやれ」と叱咤されて、それでおちつく。さっきまでみていた慣れた人の手付き、腰の入れ方がいかに無駄がないか、実感できて感心する。どういうタイミングでどう力を身体のどこに入れればいいか、わからない。だからリズムもわるくなる。

餅つきはぺったんぺったんではなくて、ドスン、ペチャなんだな。杵と返す役のリズム。

息子ら子どもたちは「半殺し」という蒸した米を臼にいれて、杵の頭でコネコネつぶしたあとの状態から5回ずつつく。息子はちゃんと5回、真ん中に当てていた。一人5回でも150人いるから、全員回るのに2時間半くらいかかる。あとからまた大人がついているのを見に来て「いいな、おれもやってみたい」とつぶやく。

最後は蒸したよもぎの葉っぱが加わった。半殺しでもち米とマーブルにまざり、ついていくうちにこれまで見てきたよもぎ餅になる。こうしてできているのか。

「20歳のときから、毎年餅をついている」というおばあちゃん、「機械の餅は、食べられない」のだそうだ。つきたての餅を食べると、その意味がよくわかる。あったかくてもっちもちで、美味しさがまるで違う。できたてが一番うまい。いつの時代でも、それは変わらないし、機械でできあいのものでも、また感じ方が違うのだろう。臼も、木でないと、手触り、硬さ、きっとダメなんだ。

息子の様子をみていると、いろんな男の子と話をしたり、遊んだりしている。仲良くやっているようで安心した。アメフトの兄ちゃんに「アメフトって、どんなスポーツ?」と質問して「イケメンがするスポーツ」と答えが返ってきたと家で教えてくれた。たしかに、あの力持ちイケメン兄ちゃんたちがいて助かった。

餅は男が打ち、返しは女性がやる。掛け合う軽快なリズムをみて、夫婦のあるべき姿をみた気がした。実に湯気が立ち込み、躍動感があって美味しい現場だった。