恩師とその恩師と

恩師と、その恩師と会食をしていただくという機会に恵まれた。緊張してあまりぼくはうまく話せなかったが、お二人の話を聞いているだけで幸せであった。

 

出会ったお言葉のいくつかを忘れないうちに。

 

「これからは、二次元と三次元の思考を行き来できる力が大事かなと思っています。」

「時代はどの世界もデジタル一辺倒だけど、ものを総合的にものをみることができるか。最近出会った本でね。哲学者ヴィーコがかつて、デカルト全盛期のときに、一人『代数ではなく、幾何学をやるべきだ』と主張した。幾何学こそ総合的な知性が求められる。デカルト的だけだと、世界がバラバラになってしまう。これは17世紀のことだけど、何か、いまに通じるなと思ったね」

「最近の大学はキャンパスの中にお店をたくさんつくることで、周囲の商店街が衰退してしまっている。ほんとは、周囲の街に染み出すように、研究室がキャンパスの外にあったり、食事はかつてのように外のお店に食べにいったり、周囲のまちと一体になっているべきだとおもう。ハーバードのキャンパスはまさにそうなっていて、素晴らしかった。キャンパスの外まで、大学が広がっている。」

「IVYリーグの大学は、必ずキャンパスの中に寮がある。そこで授業がされることもあるし、一緒に暮らすことこそ人生の糧になる。そういうコモンズがないまま来たのが日本の大学。」

アメリカの英語は簡潔。だけど言うことは本質的。ケネディ元大使のスピーチにはそれがあった。久々に『ああ、まさにこれこそ、アメリカの上質なスピーチだ』と感動した」

アメリカの小学校の授業はね、ある本を読んだら、その印象をちゃんと自分の考えを発表する場が重要視されている。先生も的確にコメントするし、子どもたちもしっかり質問するし、先生もその質問について「こういう質問がもっとよかったね」とアドバイスをする。問いを立てる力が鍛えられるんだね。日本は、文学を鑑賞することばかりなところはあるよね。」

 

他にも最近出した本の話、台湾の話、キャンパス計画の話、図面を手で描く話、恩師の父の話、オリンピックのロゴの話など。恩師の父が創立メンバーだった会社で、ぼくは昼間打ち合わせをしていたし、会食のレストランもぼくが結婚式をあげたホテルのレストランの分館だった。巡り合わせって、あるんだな。

 

夏に、我が子と会っていただいたときの印象も「感心した」と褒めてくれて、光栄だ。息子がした質問が実に良かったと。うれしいね。

 

恩師によると、その恩師の大学時代のレクチャーが、これまで受けたレクチャーの中で「圧倒的にすごかった1番」なのだそうだ。ぼくは本でしか味わえてないけど、想像できる。「心が震える感動があって、『建築やっててよかった』と心から思えた」と。わかる。そして、その話は専門じゃない人にとっても心打たれるものだ。そして、その恩師の恩師が聴いたレクチャーで一番すごかったのは、なんといってもロバート・ベンチューリのもの。

 

ぼくのことも、「いろいろ経験した上で地元に帰って、そこで力を発揮して作ることをやっている。それは働き方として、とてもやりがいのあることだとおもうよ」と励ましてくださった。その言葉を胸に、これからも頑張ろう。 

 

二次会では恩師と二人ゆっくり話せた。最近進んでいる計画の話、中動態の話、父と子の話。

子どもたちに建築の面白さをどう伝えるかに興味があるというと、

「小さな子の建築塾さ。もちろん実際につくる体験も絶対大事なのだけどさ、街の楽しみ方とか、そういうのも面白そうだよね。建築探検のように。例えば、美術館の裏側を行くとか。建築の楽しみ方を知れば建築が好きになる。」

なるほど。

相変わらず引っ張りだこ。「いろいろ引き受けすぎなんだよね。ほんとうは設計だけをしていたい。」

 

記念写真を残そうと思っていたのだけど、ほんとうに満喫して感無量すぎたせいか、忘れてしまったことだけが心残り。興奮して寝れなかった。