頼もしい背中

家から坂をくだったところに、息子が夏休みの宿題をやるためにいく自習室がある。ぼくも出かけるので、一緒に自転車でツーリングすることにした。

アスファルトの道路の真ん中をいかず、あえて端に生い茂ってきた雑草の蔦を踏みながらいったり、最短距離ではないともだちの家の前に迂回したり、段差のあるところをわざわざいって楽しんだり、とにかく遊びながら自転車を走らせている。

ぼくは何もいわないでついていったり、先にいったり。

「この道こういったらおれ面白い」とか「このかばんのひも、タイヤにカタカタあたるから片付けておくことにした」とかいろいろ教えてくれる。

無事に転ぶこともなく、交差点では周りを無難にみるし、安定感がある。これだと一人で行くことも危なげないだろう。急に頼もしくなる。

親がいろいろいう時期はもう過ぎたのだと改めて実感する。自分で考えて、転ぶときもあるかもしれないが、それを通じて主体的に反省して、改めていくのだろう。

彼についていったらもうとうに自習室は通り過ぎたところに出た。

「来すぎたな」とぼく。

「ほんとや。ぜんぜん気づかんかった」と楽しそうに笑う。

「おれ、時間ないから、戻って送ることはできないわ。」

「分かった。じゃーなー」

颯爽と正しい道に戻ってひとり自習室に向かっていった。

梅雨があけ、雲ひとつない快晴。ジリジリと太陽が肌に痛い。セミの合唱も始まった。チャリと少年。この夏を謳歌している。どんどん小さくなる背中をぼーっとみながら、彼は自分の手中にはもういなくて、自分の世界を広げ、飛び出す先をみつけようとしているのだと気づく。