反抗期の心構え2

今日も戒め。外では明るい息子が、家では全く楽しそうではない。ふてくされ、叱ると傷つき、すぐに家を飛び出すようになった。以前は夜中外を歩き回っていたが、夜中、しかも雨の日は心配になるからやめろということで最近は家の庭で一人佇んでいる。反抗期ってこういうものなのか。

我が子が、親から信頼されていなかったり、期待されていないと感じるなら、親の言葉など聞かないだろう。信頼されたかったら、まず親から信頼していることを伝え、信頼関係を構築しないといけない。構わないと無関心は違う。信頼しておきながら、自由にやらせるというのが理想なのだろう。

息子の読んでいる本や、面白いとおもっていることに関心をもって、何を楽しんでみるか聞いてみてもいいかもしれない。そういう会話がなかったな。

期待というのは、どうなってほしい、何してほしいとかそういうことではない。褒めるということにつきるのだろう。管理目線ではいけない。いいところ、好きなところがあって、それが行動を伴って表面に出てきたこと見逃さず、ポジティブな言葉をかける。生き生きと伸びればよい。

しつけも、叱るのではなく、説諭する。問いかける。例えば鼻を噛んだディッシュが机に置きっぱなしであるのも「片付けろ」ではなく「これでいいのか」というだけでずいぶん違う。命令に従わせようとするのではなく(それがしたくないから反抗期なわけで)、主体的な判断をさせなきゃいけない。

正直、ぼく自身が父と小学校高学年から高校三年はほとんど口を聞いた記憶がない。一緒に出かけたりすることは皆無だし、学校のイベントにも来ない。父なりの愛はあったのだ今はとおもうのだけど、直接的ではなく、ずいぶん遠い位置にいた。そして、それが寂しいと思ったこともない。息子というものは、特に反抗期、父とは逆の人生を歩みたいと思うものだと、ぼくは思っている。「こういう人になりたくない」そう思うことが、エネルギーになり、頑張る原動力にさえなった気もする。とはいえ、結局自営業で、自分の腕一本で家族を養った父のほうがよっぽど偉大だったと今は思う。

だから、ぼくはいま迷っている。距離を置いたクソ親父でいいんじゃないか。幸い、ぼくは自分を落ちこぼれだと思っているし、何も誇れるものがないので、ぼくのようになってほしいとは思っていない。反発して、反面教師にしてくれるほうが心強いと心の底では思っている。

妻からはバカな明るい親父であればいいと言われた。でもそれには父子の仲良しというニュアンスもある。父子が仲良しというのは幻想なんじゃないかと、ぼくは自分の父との関係をみておもうので、まだ眉唾なのである。