昨日は夏日。次女を歩いて保育園におくった。最近はぼくの自転車に彼女が座って、ぼくが手押しでいくコースがお気に入りのようだ。ぼくの腕と背中に捕まる人力車。

 

「影あるところと、ないところがある。なんでだろ。あの家には影あるのに、この家にはない。」

「影って、どうしてできるとおもう?」

「うーん、ひかりがあたるから。」

違うといいかけて、言葉を飲み込んだ。

「影は光があたるからできる」のは間違いではない。夜の時間をだれも影の時間だと思っていない。光があるから、影ができる。思わぬ哲学的な答えが返ってきた。

「光って、何かな」

と問いかけなおした。そう、太陽である。

木陰に入る。日差しが朝から厳しいので、救われた気持ちになる。

「木の影のところに入ったら、太陽ってみえる?」

「みえない」

「なんでだろ」

「だって、木が邪魔するから」

「そうだね。だから、光が当たるところには、影はでき・・」

「ない!」

「そうだね。光が当たらないところには、影はでき・・」

「る!」

「そうだね」

太陽の光ってまっすぐ進んでるんだよ、と細くしようとしたら「ねえみて、あじさい」ともう関心は別のところに行っていた。保育園に近づくと、対向車の運転手を逐一確認して誰のママだったか教えてくれた。よく気づく。ぼくはそこまでよく見ない。