次女を自転車のサドルに乗せて、ぼくの身体につかまりながら登園。
次々質問が飛んでくる。
「ねえ、なんで0歳の赤ちゃんは、しゃべれないの?」
「言葉ってのは気持ちを伝えるためにあって、赤ちゃんも、言葉を出しているよ。どんなだ?」
「『うぇーん』とか」
「そう。そうしたら、お腹空いたのかな、おむつ変えてほしいのかなってわかる。」
言葉には英語やインドネシア語もあって、ぼくたちは日本語だけど、わからない言葉もある。赤ちゃんも一緒。犬も一緒。
そういう話をしていたら、近くの犬が「ワン」と吠えた。ミラクルである。
「なんていってるのかな。」
「ねえ、なんで犬とかうさぎの耳って、こう付いてるの?」
前に耳がついてるのが気になったようだ。
「前に耳がついていたら、どこからの音が聞こえやすいかな。」
「前。」
「そう。人間は?」
「左と右についてる。」
「犬とかうさぎは、前の音が聞こえたらうれしいんじゃないかな。」
「サルは、左と右だね。」
「あ、この道お散歩できたことがある。このお花、一番好き。」
街路に植えてある黄色い花が沢山さいている。
「あ、枯れてるよ。みて。」
「つかまるの、疲れてきたよ。」
階段をつかわないで、ずっと道路を自転車を引きながらいくコースは20分くらいかかる。ぼくも身体がつくなってきた。もうすぐ保育園につく。すれ違う自動車の中の友達のママに手を振っている。だれだれちゃんのママだったよ、と教えてくれるけど、ぼくは見ていない。
保育園につくと、今日から新しい水筒、黄色のプーさんの水筒を先生に見せて自慢していた。かつての東京の同僚が、こないだ遊びに来てくれて、長女と次女と仲良くなってくれた。古巣からたくさんプレゼントを送ってくれたうちの一つ。ありがたい。