最後の息子の水泳教室を、家族みんなで見に行った。個人メドレー100mのタイムテスト。
朝、家を出る息子を見送るときに「まあ、受かっても受からなくてもいいから、最後がんばれよ」とプレッシャーをかけない程度に励ますと、「いやだ。ぜったい受かりたい」と力強い返事が帰ってきた。
2階のギャラリー席からプールを見下ろす。手前では浮具をつけた小さな子が背泳ぎをしている。ついこないだ、こんなのだったのにな。今はすっかりお兄ちゃんの体格になり、浮具ももちろんなく、4つの泳法も身に着けた。十分である。
30人くらいが3人ずつ組になって、順にタイムトライアルをしていく。息子の組は後ろから2組目。
20分くらい待つ。プールサイドで息子は友だちとずっとジャンケンをして時間を潰しているようだ。長女と次女も手持ち無沙汰になりやきもきしてそうだったので、アイスをそれぞれ買ってやる。
いよいよ息子の組になる。飛び込み台に登る前に、ゴーグルを外して水で洗ったり、一連の仕草が板についている。「位置について」の構えも様になっている。
アイスを食べ終わった長女と次女もガラスに張り付いて応援。
結果は自己ベストなものの、合格タイムを1.8秒切れず不合格。遠目にみても、明らかに表情がさえない。プールサイドの席に戻り、こちらに腕でバツのマークをつくってお知らせしてくれる。しかも2度。仕草に悔しさが滲んでいる。
プールサイドから息子の姿がなくなる。下に降りて、息子が着替えるのを待つ。なんて声をかけようか。
出てきた息子はもう吹っ切れた表情だった。この切り替えの速さ、実に息子らしい。
「1.8秒足りなかった。」
「おしかったな。まあしゃーないね」
「うん。でも自己ベストやったよ」
「そうなんや。じゃあ十分やん」
「まあそうやけど」
息子は最後、ぼくの車にはあえて乗らず、バスに乗って帰ることにした。バスでの友だちとの会話も、水泳教室の大切な思い出になる。ぼくがそうだったように。小学校の校区が違うから、もう会うこともなかろう。最後は、別れを告げた方がいい。
いつもは水泳教室の近くのファミレスでご飯を食べて帰るのだけど、今日はそれをしない理由はこれであった。当然のように長女と次女はファミレスに行けるとおもっていたようで、がっかりしていた。仕方ない。
先に帰って晩ごはんの支度をしていると、バスの音がして息子が帰ってくる。妻がバスの運転手さんにお礼をいうために今日は外で待っていた。でも、いつも送ってくれている運転手さんではなかったそうだ。その運転手さんはこの春で定年退職するから、新しい人が引き継ぎを兼ねて復路はハンドルを握ったとのこと。雨でも雪でも息子を無事送り届けてくれたあの優しいおじさんも、一緒に卒業するのか。
「つかれたー」とか、「あいつとは一生会うことはもうないか」とかいいながら2階に上がってくる。すぐにご飯が食べたいだろうから、今夜はすぐに作れる讃岐うどんにした。ちょうどできたところ。お盆に乗せて息子の席に置く。
食卓につく前に、息子はいつものようにキッチンのところにきて、牛乳をコップに注いで飲もうとしている。
「悔しいとまた頑張れるやろ」
「『また』って、もうないぞ」
的確なツッコミが返ってきた。うかつな発言であった。
「水泳のテストでなにも返さなくてもいい。悔しいのはいやだからと、他のことでがんばればいいやろ」
「まあね。」
「6年間、よくがんばったな。これでお前は少なくとも溺れることはないやろ。」
「そうだね。」
牛乳パックを手に取り、冷蔵庫を締めている。
「水泳をやった感想は?」
「楽しかった。」
未練もない明るい口調の即答。すでに前を向いている。
「友だちにも、ちゃんとお別れできたか」
「うん、言った」
たぶん、少年たちのことだから、センチメンタルになることもなく、「じゃあな」という軽い別れをしているのだろう。
下へ行くと、洗濯機の上に水着とキャップとゴムが入ったバスタオルが出してあった。来週からもうこのルーティンもなくなるのか。まだ実感がわかない。