たいよう

今日の質問。長女と次女から。

「ねえ、太陽ってなんで海に沈むのに、消えないの?」

ブルーノ・ムナーリの『太陽をかこう』にならって二人が絵を書いていたとき。

我が家は西に面したリビングの窓から海が見える。長女と次女にとって、海は太陽が沈む方向だ。一方東は山なので、太陽は山から昇る。

太陽は火の玉なことはしってる。水に火は消えることもしってる。だから、自然な疑問。

相変わらず素晴らしい発想だなと感心する。昔は天文学者たちが本気で考えて、向き合っていた疑問でもある。馬鹿にはできない。

「すぐにパパが答えを教えちゃうと面白くないから、考えてみな。」

太陽はすごく大きいから大丈夫な説、海の下の砂でもう一回炎が復活する説など。

パパからは「昨日と今日の太陽って、同じものなのかな」という新説。

しばらくして、長女が「海の近くを通ってるだけなんじゃない」と核心にせまる一言を放つ。

「もうつかれた」というので、宇宙の図鑑を引っ張り出してきて説明する。地球は大きくて丸くて、一日に一回転して云々。

説明しながら、昔の人は地動説を信じていたというのは「そりゃそうだ」という気分になってくる。「動いているのは大地だ」と思うなんて、天才だ。

たぶん、二人はもう忘れない。疑問を思ったときに、吸収したから。脳は不思議なもので、疑問をもった状態というのはスカスカなスポンジになっている状態。だから新たにいろいろ染み込ませることができる。いわゆる一方的な詰め込み教育はチーズにむかって水をかけているようなもので、飲み込まれない。

教育のおいて大事なのは好奇心によりそって、抱く疑問を大切に、できるだけスポンジのような状態にしてあげることなのだとおもう。